弱い人間を見ると救いたくなる。
強くなりたいと切に願う者に限ってだが。
強くなる事を切に願って覚悟を決めた人間でなければ面倒だからだ。
途中で弱音を吐く人間は何人も見て来た。
そういった人間に付き合うほど俺はヒマな人間では無い。
そうだ。そういう部分は非情であると自負している。
弱い動物は死んで行くだけだ。
逆に強くなりたいと切に願う人間にはどんな事でもしてやりたい。
何かを変える力を持っているのにその力をどう使うのかを知らない人は多い。
それは俺に言わせれば『勿体無いヤツ』だからだ。
だが弱い人間が変に上がってしまうとその驕りを潰したくなる。
どっかで認めてねぇんだ。
そいつの言う強さそのものを。
どこかでその強さが完全じゃないのを見破った時、
特にその感情が強くなってくる傾向がある。
強くなりかけてる人間は強さを誇示したがる。
そういうのが気に入らないのだ。
強さを誇示する人間の大半は自分自身に言い聞かせている。
『自分に言い聞かせていなければならないような強さ』を、
『本当の強さ』だとは言わせたくないのだ。
弱い人間が強くなったばかりの時は傲慢になりやすい。
そこを諭してやるのも俺の務めなのだと思う。
多少は恨まれる事もあるだろうが仕方が無い。
それも所謂、『必要悪』ってモンなんだろう。
楽しい務めだ。
この務めが正しいのかどうかは誰が証明するのか。
それは俺自身を置いて他に無い。
俺の考えが正しい事は俺が一番良く知ってる。
むしろ、俺がやらねば誰がやる、といった所だ。
本当に強い人間は本当に強い人間とはどうあるべきかを教えるべきであり、
間違った方向に行かないように目を光らせるべきであると思う。
奢れる者は我らで潰そう。
2005/12/03
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