『サイエンスミステリーそれは運命か奇跡か4』という番組を見て、少しドキッとした。
その番組に出ていたトミーという人物は、クモ膜下出血で倒れて以来、
ドーパミンの分泌が異常になり、作品を作り続けるようになってしまった。
彼の作る作品は壁画、粘土細工、オブジェなど様々だ。
目に入るもののすべてを作品にせずにはいられない。
壁に少しでも余白があると埋めずにはいられない。
鬱状態と躁状態を繰り返し、愛情を忘れている。
妻も息子も創作活動の邪魔にしかならない。
俺も昔から周りのモノが邪魔だと思う事がよくある。
それは何かを考えている時だ。
家族・友人・恋人も考え事をしてる時は邪魔にしかならない。
考え事のモードに入るとそれが終わるまでは何も出来なくなる。
『今、コレを終わらせなければならない』という一種の強迫観念にも似た感情。
その突発的な衝動がドーパミンの仕業によるモノだという事は、
脳内麻薬について調べていた時にわかったのだが、
頭でわかっていてもそれを自制する事は出来ない。
そして、そうなっている事自体が決して辛いものではなく、
むしろそれを実行している時は非常に気持ちの良いものである。
トミーと俺はこれが一致している事にドキッとした。
そうだ。安堵感、達成感、充実感などがミックスして味わえるんだ。
だから、それを止める事はしたくない。
そしてそれによって何かを生み出す事が俺の存在証明にもなりうると思っているのだ。
そうだ。
俺は俺にしか出来ない事をやりたいんだ。
他の人がどうだろうが関係無い。
俺に一般人の生き方を薦める方がどうかしてるんだ。
俺は世界に唯一の個体であって、代えがきくものじゃない。
それを証明するために何かを作る事を考えるのだ。
俺の中で俺が考え事をしている時に邪魔が入る事は、
俺の存在を証明をしようとする行為を邪魔する事になる。
つまりは俺の存在証明の否定だ。
そりゃもう、邪魔で邪魔で仕方が無い。
しかし、それが原因でゆうなに寂しい思いをさせているのもイヤだ。
考え事の最中はゆうなが話し掛けてきても相手が出来ないのだ。
そして考え事が終わると同時にゆうなを見ると、ゆうなはフテ寝をしている。
その度に俺は心から申し訳ないと思っている。
俺の中で『ゆうなといっぱい話したい』という気持ちと、
『これは今やらなければいけない』という気持ちがぶつかると、
結果としてゆうなを後回しにしてしまうのだ。
俺の頭の中は集中すると一つの事しか考えられず、
その時に浮かぶアイデアは素晴らしいモノがあるが、
そこに何らかの邪魔が入るとアイデアが浮かんでもすぐに消える。
だから何かを思い浮かんだらそのまま最後まで考えて、
最終的にはそれを書き留めるなりしなくてはいけないという感情に呑み込まれるのだ。
そうだ。
「ゆうなは後でも大丈夫。」とゆうなの優しさに甘えているんだ。
一度、「こんなんじゃ遊びに来てる意味が無いよ。」と言われた事もあった。
その時は辛かったし、申し訳ないと思ったし、解決策が浮かばず困った。
最近では、ゆうなも考え事が終わるまでの時間潰し策として、
ウチに来る時には本を持ってきたりしている。
俺もなるべく、ゆうなを優先するようにしている。
考え事が始まりそうになるとポイントだけをメモしておいて、
ゆうなとバイバイっとした後でそのポイントを参考に一気に考える。
どちらも大事な時間なのでどちらかを選ぶ事は不可能だ。
ゆうなは「私がもっと大人にならないといけないよね。ゴメンね。」とションボリする。
原因を作ってるのは俺だからゆうなが謝る必要は無いんだけど、
ゆうなは「有也にはもっと理解ある大人の女性がふさわしいんだ。」とか思ってるようだ。
でも、俺はそうやって冷静に考えられる『大人の女性』とやらには絶対に惚れない。
涙と笑顔と憂いの表情で俺の心を揺さぶれるのはゆうなだけだよ。
好きのレベルが同じだと、どちらも選べない。
自分の存在と、ゆうなの存在。
俺はどっちも大事にしていける策を考え続ける事にした。
答えは当分、出そうにないが。
2006/02/19
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