世界には様々な宗教がある。
世界の中でも無宗教の国は少ない。
つまり日本はそういった意味では特殊と言えるだろう。
俺は宗教に全くと言っていいほど縁が無い。
しかしこれだけ数多の宗教がある事は無視できない。
結局の所、人は宗教に何を求めているのか。
それは「救い」に他ならない。
偶像崇拝などもその良い例の一つである。
しかしキリスト像、マリア像、仏像、神像などを拝んで何になるのか。
それは現実逃避ではないのか。
まず善悪の概念を持つ宗教を俺は認めていない。
その最もいい例はキリスト教だ。
善悪の概念を作る事自体が間違えている。
悪とされる考えを否定し、善にだけ目を向けさせる。
これでは考え方も偏る。
イザという時の苦渋の選択が出来ない人間になってしまう。
つまり何が言いたいのかっていうと、
世間的に言う「善」も「悪」も当然あるものとして
清濁併せ呑む事が必要だって事だ。
善悪に囚われず、全てを受け入れる。
その上で強い精神をもち、自分にとっての障害を乗り越える事が必要なのだ。
そして横の繋がりを大事にする事。
自分の身の回りの人の力になる事だ。
そしてお互いに精神の高みを目指す。
それが備われば宗教はいらない。
つまり何でこんなに宗教が広がるかっていうと、
心の弱い人間が多すぎるからなんだ。
何かにすがらなきゃ生きていけないくらい弱い人間が多いんだ。
こだわりや偏見を持つ人間が多いんだ。
もっと強く生きようぜ。
こないだも駅前で勧誘してきたおばちゃんに
2時間ほど俺の考えを説いたんだが、
本当の救いは自分の中にあるんだよ。
それを人任せにしちゃいけねえんだ。
要するに逃げんなって事。
何かに祈るよりもすがるよりも信じるよりも、
自分を信じて自分の精神を強くする事が大事。
偏った見方にならないように常に気を付けなきゃいかんね。
人殺しさえも俺の中では当然あるものだ。
弱い人間が多すぎるからね。
アンタみたいに強くはなれないって?
そりゃ言い訳だよアンタ。
もっと強くなれるのに諦めたら可能性もゼロになっちまう。
自ら可能性を潰す事はないだろ。
もうちょっと頑張ってみようぜ。
大丈夫。理解者はきっといる。
2003/04/01
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