人間、誰しも悩む時期がある。
自分の存在意義が肯定できなくなった時、人は落ち込む。
場合によっては深い深い洞窟の暗闇に入ってしまう。
ココで周りの人間は「頑張れ」と言ってはいけない。
「頑張れ」ってのは既に迷いの中に居る人には辛いだけだ。
「頑張れ」は「もう少しムリをしろ」に変換される。
「これ以上に無理をしなければならないのか。」と、愕然とさせてしまうのだ。
ここでその人を救う方法は二つ。
一つは同じ深さまで行って救い上げる事。
洞窟の中に入って一緒に出てくるイメージをしてもらいたい。
同じ気持ちになってやれて救い出すという事は、
その人と同じ考え方のベクトルでなければならない。
つまり同じ内容で落ち込んだ事のある人間にしか出来ないのだ。
ただし、これはリスクも大きい。
自分も出て来れなくなる可能性があるのだ。
ミイラ取りがミイラになるのはよくある話。
そりゃ暗い話をされて明るい気持ちになる人間は居ないからな。
もう一つの方法。
それは出口がある事を教える方法だ。
つまり、闇の中にいる相手に光を見せる事。
出口が無いと思えば前に向かって歩く気力も失せる。
その光を見せてやるんだ。
これはつまり目標の設定に他ならない。
こんな生き方も出来るんだ、という事を教える。
今まで一つのベクトルでしか考えられなかった人間にはこの方法が効果的だ。
本人が歩く気にならなければ意味が無いのは前者と同様。
しかし、光も無ければ本人も歩く気にはならないし、
誰かに手助けされなければ生きられないようなら同じ洞窟にまた迷い込む事になる。
だから長い目で見ればこちらの方法の方が良いと俺は思っている。
俺は後者の方法を取る。
と、いうより後者の方法しか取れない。
俺は絶対に洞窟の暗闇に入るような人間じゃないからだ。
だから自分を目標にさせるという方法しか取れない。
俺自身が洞窟の暗闇に怯えている人間の光になるんだ。
そのために俺は自分自身を嫌いになってはいけない。
光が薄れるからだ。
俺は常に俺自身を愛して、俺自身を裏切ってはいけない。
少しでも嫌いな自分になってはいけないからだ。
少しでも自分を嫌いになれば「光」にはなれない。
俺は常に目標であり続けなければならない。
それが唯一の救出方法だから。
それが自分に課した責務であると思っている。
決して辛くはない。
辛いと思った事は無い。
自分を愛する事が気持ち良いからだ。
それだけだ。
金じゃない。
慈愛じゃない。
俺を突き動かしているモノは好奇心と自己満足。
常に自分自身をグレイトリスペクト。
こんなバカも居るんだって。
世の中は広いだろう?
2004/08/16
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