俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 293   フィリピンパブ時代の思い出。
 
俺の水商売暦で店長を勤めた唯一の店だった。
 
女の子の半数は完璧に日本語を話せた。
ロクでもない単語を知ってる子が多かったが。
 
 
「ユウヤサン、ワタシマ○コグチョグチョ。ハヤクチョーダイ」
「ユウヤサン、今日はハメハメしてきたノ?」
 
いつもそんな下品なジョークで笑いを提供してくれるラブちゃん。(仮名)
日本人との偽装結婚暦も長く、すごく優しい日本人の恋人が居た。
 
「アッハッハ!そういう日本語ばっかり覚えるなよ!」と俺も笑ってた。
 
彼女の作る焼きビーフンは最高に美味かった。
俺は何度か個人的に作ってもらって食べていた。
レバーが入っててビーフンはかなり短めに切られていた。
俺の作るビーフンとは全然違う味だった。
 
 
そして、いつも俺のサポートをしてくれるランママ。(仮名)
彼女も日本国籍を取る為に偽装結婚していた。
 
金は充分にあり、故郷に帰れば街で2番目の金持ちだと言っていた。
写真で見た自宅はプール付き使用人付きの豪邸で、
「フィリピンに来たらいつでも遊びに来て。」と言ってくれた。
 
彼女が日本で働く理由は愛娘の海外留学のためだった。
売れっ子の彼女にしてみれば日本で働いた方が手っ取り早かったんだろう。
 
彼女は常にお客さんを呼べる優秀なホステスだった。
『彼女が居なければウチの店は成り立たなかった』と社長も言っていた。
 
よく笑い、よく悲しむ人だった。
他の女の子の悩みも一緒に抱える優しい人だった。
 
 
他にも色んな女の子が居た。
酔うとすぐにお客さんを放ったらかす女の子や、
日本語はスゲェヘタなのに歌手レベルに歌える女の子、
他の店から一日で逃げてきて不法滞在してる女の子や、
レズで日本人の女の子(オナベの子)と暮らしてる女の子、
日本人と結婚して嫁姑問題で疲れて夜の世界で息抜きしてる女の子も居た。
 
 
俺は彼女達に日本語を教えたり、営業の仕方を教えたり、
日本の歌の歌詞をローマ字にして覚えさせたり、
パラパラを教えて一緒に踊ったり、マカレナを習ったり、
日本についての様々なモノを教えたり、たまにはふざけてウソも教えた。(笑)
 
俺と彼女達が話す時は大抵が日本語だった。
日本語が通じない女の子には英語で話をしていた。
俺もそこまで英語が話せるわけではなかったが、
ジェスチャーや筆談で何とかなったものだった。
 
ミーティングなどではランママは日本語も英語もスペイン語もタガログ語も話せるので、
彼女達に伝わらない部分を通訳してくれたりもした。
 
彼女達が英語で話している時、俺はよく話の内容を聞いていた。
何となく意味がわかると俺も「あ〜確かにそうだねぇ。」とか相槌を打っていた。
それで「エ!?ユウヤサン今の話わかるの?」と驚かれたりもした。
聞いて理解出来る事は多かったのだ。
話す事はあまり得意ではなかったが。
 
彼女達は俺に聞かれてはマズイ話はタガログ語で話す。
しかし、タガログ語にも方言みたいなものがあって、
そこで通じない時は英語や日本語で話したりもしていた。
 
彼女達は最初の頃、俺を「店側の人間」としか見ていなかったのだ。
だから俺に対して変に媚びてきたりする事もあったし、
聞かれちゃマズイと思う事を日本語以外で話したりしていた。
 
でも、俺は全てに公平だった。
女の子が悪い所はちゃんと注意をして直させ、良い所は褒めた。
明らかに店のやり方がおかしいと思う所は社長に改善してもらった。
店を盛り上げるために俺専用の売上グラフや指名表を作って分析していた。
 
店の女の子達は俺を信頼し、好いてくれるようになった。
休日にはみんなでバーベキューをしたり、ボーリングをしたりもした。
 
 
しかし、俺の中では不安が消える事はなかった。
 
『この先ずっと水商売で生きていく事が出来るだろうか。
 不法滞在の女の子が捕まった時には俺もパクられるんだろうな。
 将来、子供は絶対に欲しい。その時に俺が水商売では子供の教育上良くない。』
 
 
俺は色々と考えて『安定した会社に入る事』を目標にした。
思い立ったらその後の行動は早かった。
 
「今月の15日で辞めます。」
ウチの給料は中締め末払いだった。
 
 
店の女の子達は別れを惜しんでくれた。
「生きてりゃまた会えるよ。」そう言って彼女達とハグして別れた。
 
 
そして俺は23歳の9月15日で水商売を辞めた。
 
 
2005/01/27


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