俺は楽しく生きてる。
自分自身の問題で悩む事はまず無い。
しかし、それじゃイカンのだ。
それは成長する機会を与えられていないという事なんだ。
以前も似たような事を書いた。
悩みとは人生の「お題」があるという事なのだ。
それに対する答えを一度でも出せば、次に同じ事で同じ苦しさを味わう事は無い。
それも成長というものだ。
しかし、俺はほとんど悩まない。
これは問題だ。
常に成長出来なきゃヤダ。
俺は基本的に悩みたがりなんだ。
そのお題によって自分に色んな感情が湧いてくる。
それによって俺は自分の感情を確認したいんだと思う。
感情が豊かな方が人間らしいし、色んな人の気持ちを理解出来るから。
俺はそういう味わい深い人間になりたいんだ。
だから自分をもっと好きになるために悩みたがる。
悩みを解決する事でとてもスッキリするというのも悩みたがる理由の一つだ。
それによって気持ち良くなれるのだ。
お題を解くのは面白い。
これが勉強に向かえばもっと良いのだが、それに興味が湧かなければそれもない。
中学くらいまで理科と国語には興味があった。
『宇宙』や『生物』や『生活』に関わる理科は俺の興味を引くものだった。
宇宙は自分の生きている場所だから知っておきたかったし、
生物は自分自身も人間である以前に一匹の動物だと考えてたし、
生活の中には科学で証明できるモノが多かったからだった。
国語は「言葉」というものを重んじる俺には得たい知識だった。
人の心を表現し、また人の心を動かす事が出来るのが「言葉」だからだ。
それを自在に使えるエキスパートになる事を夢見ていた。
国語や理科は高校に入ったら俺が必要としない科目になり下がった。
目の前にある現在の生活の中には古文も化学式も出てこないからだ。
ウチの兄貴が浪人している時に「勉強してて楽しい時があるか?」と聞いた事がある。
兄貴は少し考えてから答えた。
「問題を解いて合ってると嬉しくなる。逆に間違えてるとチキショーってなる」
それはどんな教科に対してもそうであるらしい。
やはり、勉強が出来る人間は思考ベクトルが違うんだなぁ、と感じた。
兄貴の名誉のために言っておくが、彼は受験に落ちて浪人したわけではない。
現役の時に第一志望の大学に受かって、
「浪人すればもっと上に行ける!」と言って浪人した。
一浪して第一志望の慶應に受かって「まだまだ行ける!もう一年だ!」と二浪する事し、
最終的に東大に合格しやがったのだ。
「まぁ俺の進む学科では東大より上はねぇな。しょうがねぇから入ってやるか。」
と笑いながら言っていた。
そんな兄貴でも二浪時代には多少、不安になったらしい。
「それ以下にならない自信はあったけど、もしもの事もある。
やっちゃったかな、って思ったりもしたよ。でも、だからこそ逆にやるしかねぇとも思えた。」
受験が終わってから兄貴はそう言っていた。
やっぱり思考ベクトルが前向きな部分に血の繋がりの濃さを感じた。
話を本題に戻そう。
悩みというお題の無い俺は、悩む事に憧れを抱いていたのだ。
しかし、今は自分の悩みに変わるモノがある。
それはこのHPで恋愛相談、人生相談を受ける事だ。
人の悩みを一緒に考える事で自分がそのシチュエーションになった時の事を考える。
それが多少、自分の仮想体験となって経験値が増える。
そして相談者とのコミュニケーションはそのままコミュニケーションスキルアップになる。
そっちの方も今よりもっともっと深めたいものだ。
まぁ何が言いたいかっていうと、オマエらいつもありがとうってコトだよ。
2005/02/20
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