「こうしなくちゃいけない。」
「これはやっておかなくちゃいけない。」
こういうセリフを言ってる人が多過ぎです。
いや、別に良いんです。
これを言う事が悪い事とは言いません。
『最終目標』を見失ってるor見据えてない人が多過ぎだって事です。
何かをするという事は目標があり、計画があり、行動に至るわけです。
「これを成す為に今はこうするのだ。」というようにね。
しかし、途中で最終目標を忘れて行動の方が目標になってしまう人が居ます。
その行動はあくまでも最終目標の為の手段だったはずなのに。
例えば、塾に通って勉強をする中学生もそう。
仮に、塾にちゃんと通えない自分がダメだと思ってる子が居るとします。
塾は行かなくてはいけないモノではないのに。
勉強とはそもそも何の為にするのでしょうか?
勉強における最終目標は何なのでしょうか?
『自分の限界まで知識を得る事』を目標とするのならそれも立派な目標です。
『良い大学に行く事』は目標ではあるけれど、最終目標ではありません。
大学に入ったら卒業する日が来ます。
その前に『その先はどうするのか。』という問題が生じます。
卒業したら就職をするのが大多数でしょう。
しかし、それも最終目標ではありません。
何の為に職に就くのでしょうか?
生活費を稼ぐ為というのが大多数でしょう。
何故、生活費を稼がなければならないのでしょうか?
一番多い理由は『生きていくため』です。
ゴハンを食っていく為なのです。
何故、ゴハンを食べて生きていきたいんでしょうか?
死にたくないからでしょうね。
飯を食わなくても死ななければ働かない人も増えると思うのです。
働かなければ他の事をします。
そこで新しい文化も生まれるかもしれません。
話を戻しましょう。
まず、最終目標から逆に考えていってみましょう。
生きる事が一番最初の目標です。
これは万人が共通の目標です。
生きていくために生活費を稼ぐ、どうせなら○○の仕事をしたい、
そのためには良い大学に入る、だったら今のうちに勉強をしよう、
自分でやるのか教わるのか、それによって塾に入るか入らないか、
塾に入るなら自分に合うのか合わないのかが重要、
だったら一度、説明を受けて見学にでも行ってみようか、
そこで塾選びがスタートしたりもするわけです。
目標も無く塾に行くだけじゃ大した効果は得られないのです。
興味を持ったものを調べる事が本当の勉強法なのです。
それは苦にはならないのです。
好きこそモノの上手なれ、です。
勉強しなさい、なんて強制されればそれは義務になります。
義務になればSEXすらも億劫なものになるのです。
ホントです。俺も一時期…いや、どうでもいいか。(笑)
とにかく、勉強なんてやろうと思えばどこでもいくらでも出来るんです。
ウチの兄貴は完全に独学で東大行ってます。
高校時代も浪人中も予備校にも通ってません。
土日はゲームの三国志やってました。
特に勉強で苦労したのは見た事が無いです。
あの人は好奇心だけで問題を解いてたんだよね。
『知りたい』という興味を持つ事が大事なのです。
俺も好きな教科だけは進んで調べてました。
最終的にどんな人間になりたいか、どんな人生を送りたいかだけが大事なのです。
「しなきゃいけないからする」はナンセンスです。
「した方がいいからする」はそこそこです。
「したら楽しいからする」もベターです。
続きは自分で考える事です。
2005/06/12
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