前にもどこかに書いたが、俺は人に相談した事が無い。
めったに人を信用しないし、尊敬もしないからだ。
特に10代の頃は周りに相談したくなるような人がいなかった。
同年代の友達に相談するというのは有り得なかった。
自分の方が遥かに物事を考えているし、正しい選択をするだろうと思っていた。
中学の頃は引っ越してきたばかりで親しい先輩ってのもいなかった。
そして、何よりも他人に自分の行動指針を決めさせるわけにはいかなかった。
失敗してもそいつは責任を取ってくれるわけじゃないから。
俺は他人に口出しされるのもイヤだった。
中学2年の時、「絶対、こうした方がいいって!」などと言われた事があった。
自分のケツもまともに拭けねぇヤツに限って口出ししてくる。
そういうのがうっとうしくてしょうがなかった。
『わかったわかった。そういうのはテメェが成功してから言え。』
そんな事を言ったら相手が傷付くだろうと思うと、口には出さなかった。
相手が落ち込んだら、今度はこっちがフォローしなきゃいけなくなる。
それは面倒臭いし、時間が勿体無い。
だから、そういう時には「俺は俺のやり方でやる。」しか言わないんだ。
そうすると、相手は「まぁオマエの好きにしな。」と言う。
俺は「だったら最初から口出すなよ。」と言って笑った。
そいつは「冷てぇコト言うなよ、有也ぁ。」と寂しそうに言った。
わかってる。
コイツは悪いヤツじゃねぇんだ。
ヒマつぶしに俺とジャレて遊びたいってのはわかる。
でも、恋愛に関しては全くアテにしてない。
ほとんどの人間は悪気無く興味本位でしか他人の話を聞かないんだ。
そして、思い付きでモノを喋るんだ。
こっちがマジになってても相手がマジにはなれない。
それが切実な自分の問題ではないからだ。
それもわかってた。
周りはガキばっかりだった。
既にこの時、誰かに相談するよりも必死に考えて行動した方が良いと結論付けていた。
そのためには後悔しないだけの覚悟が必要なのもわかっていた。
それでも人生には失敗もあるし、最悪の不幸が襲ってくる事はある。
年を重ねるにしたがって、それが自分のキャパを越える事も出てきた。
そういう時、俺は『人生楽ありゃ苦あり』と思って最悪な時を乗り越えてきた。
それに誰かに相談して解決するとは思ってなかったんだ。
そして、失敗しても運が悪くても、それによって自分は成長できる。
最悪の事態に対しては『オイオイ、そこまで俺を鍛えてぇのかよ。』って思ってた。
そういう試練を与えられるってのは、なんつーか、世界に期待されてるんじゃないかと思った。
そういう何かに『まだまだオメェは小せぇ』って言われてる気がしていた。
『じゃあ強くなってやらぁ』ってカンジだった。
世界が俺に成長を促して俺を最終的にどこに持って行こうとしてるのかはわからない。
でも、これまでの事もこれからの事も全てが俺の力にはなってる。
だから最悪の事態に陥ってもそれは必ずしも悪い事じゃないと思う。
まだまだキャパは有り余ってんだ。
いくらでも有り余ってんだ。
もっと来いよ。
全部乗り越えてやっから。
そんで、世界に言わせんだ。
『オマエにゃ負けたよ。』ってな。
2006/10/18
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