昔から考え事をするのが好きだった。
くだらないコトでも大事なコトでも。
それに対する答えを出すのが好きだった。
自分を納得させられる答えを。
それを繰り返していたら方向性に気付いた。
自分がどこに向かってるのか、どこに向かいたいのか。
それが見えた時にようやく自分の信念が形になって見えた。
その後はラクになった。
自分の信念に基づいて答えを導き出せるようになったからだ。
自分の信念に遵って進む道を選べるようになったからだ。
すると時間的に大きな余裕が生まれた。
その分は自分を楽しませる事に使った。
それに対して興味を持ってくれる人がいっぱい集まってきた。
自分が楽しいと思う事だけをやった。
他人の希望はイジワルして聞かなかった。
本当に書きたいのは人を騙す技術や、心を操ったりする技術だった。
だけど、それを書く事には抵抗があった。
俺の中に良心が芽生えたからではない。
ゆうなが悲しむ顔を見たくなかったからだった。
俺はそれを書く事を止めた。
それが後に自分の心にわだかまりを作る事になった。
また、それを書いても大衆に受け入れられるものにはならないだろう。
そんな毒だらけのモノを読んでも楽しい気分にはならないんだから。
だけど、それを書かなければ俺は自分の中にあるベクトルの1つを潰す事になるのだ。
自分を完全燃焼させられない苦しみを味わう事になる事は俺にとって大罪なのだ。
俺の中に芽生えた感覚はそれを悪用するしないに関わらず、自分の分身も同然。
それを潰す(否定する)事は自己否定にも繋がるのだ。
俺を滅ぼしうるのは俺をおいて他にない。
だから俺の中に芽生えた感情を消してはいけないのだ。
だから、また書くだろうと思っていた。
誰かを陥れたい、出し抜きたい、馬鹿にしたい、屈辱を味わわせたい。
負かして鼻をあかして自分の方が上だと証明したい。
認めさせたい、悔しがらせたい、屈服させたい、イライラさせたい。
そんな事を書きたい気持ちが募っていた。
かといって、誰かを傷付けたいわけじゃない。
見下したいわけじゃない。
ある時、ふと思い付いた。
人を騙すにしても、形を変えて表現すればいいんだ。
俺は兄弟ゲンカが好きなんだ。
そうやって遊んできたんだ。
争う事が最高のじゃれ合いなんだ。
大人になると誰もケンカをしてくれない。
俺がピーターパンなんじゃなく、みんなが疲れただけだ。
仕事に追われ、疲れ、元気を失い、遊びを失う。
それが少しだけ寂しかった。
対戦ゲームがしたいんだ。
誰かと競い合って遊びたいんだ。
「スゲェ!」ってハシャギたいんだ。
「こんにゃろ!」って言われたいんだ。
「また明日な!」に「おう、また明日な!」で返してくれればいいんだ。
ガキの頃に戻りたいわけじゃないんだ。
ガキの頃の感覚を忘れんじゃねぇって言いたいんだ。
おまえの母ちゃんがデベソじゃないことぐらい知ってんだ。
だけど、「おまえの母ちゃん、デベソ!」って言いたいんだ。
言うのが楽しいんだ。
だから書いてんだ。
変なお母さんシリーズ。
仲良くケンカしたいから。
2008/01/22
|