俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 559   無限にも感じられる中高生の時間。
 
大人になるにしたがって、1日の感覚は短くなっていく。
中高生の頃なんかは感受性もピークを迎え、あらゆる刺激に対して敏感になっている。
そうすると、脳に書き込む作業が多いためか、体感時間も長く感じるのだ。
 
物思いに耽る夜は長く感じる。
俺と親友のSaityも例外ではなく、中高生の時代には色んなことを語り合ったものだ。
そうした語らいを記録に残そうと言って、録音したこともある。
 
その頃に録音した内容を聞いてみると、感心するほど感受性が豊かで、あらゆる事に疑問を持ったりしている。
また、ひらめきのレベルも尋常じゃないくらい高い。
同時に、経験不足ゆえに知らない事も多い。
予想だけで話していることも実に興味深いものばかりだ。
 
大人になるにしたがって、そのように考える事は少なくなっていく。
“既に知っていること”や“既に考えたこと”が増えていくからだ。
1日の体感時間が短く感じられるのは、考える必要のある事が減るからだろう。
“既にあるものを出す作業”は“新しく作り出す作業”よりも手間がかからないから当然だ。
 
中高生の頃は時間を無限に感じられた。
その頃に足りないのは金銭面と知識と経験だけだった。
気力も体力もアイディアも存分に湧いてきた。
中学生の頃にマーケティングとかを学んでいたら、すごく興味を持ったかもしれない。
 
現在の義務教育というのは最低限の知識として、国語・算数・理科・社会を教える。
しかし、社会に出てから必要になるのはそういう部分ではなかったりする。
 
後に経済に携わるのであれば、その勉強の一環として、それまでの経済の歴史を振り返るのは必要かもしれない。
しかし、鎌倉時代に制定された武士政権のための法令で「御成敗式目」ってのが出来た歴史を学んでもクソの役にも立たない。
最終目標からズレた勉強はあまり意味が無いのだ。
 
もちろん、最終目標に達するためには専門分野の知識が必要で、そのためには大学受験が必要だったりもして、その受験のためには御成敗式目も知っていないといけなかったりする。
実に効率が悪いが、実際はそういうことだ。
 
また、企業が大卒の人間を求めるのは『自分に不要なことでもガマンして勉強できる力』というのが受験の結果に表れているからでもある。
ようは『良い大学を出てる子≒忍耐強い子』とも見ているわけだ。
だから、みんな気が進まなくとも勉強をやらなければならない。
 
しかし、それはあくまでも最終目標が「企業に使われること」である人だけだ。
「自分で事業を興す人」や「手に職を持つ人」にはあんまり関係なかったりもする。
事業を行うには1人ではムリな場合も多いが、全てを自分だけで終始できる人には不要だ。
 
なぜ、企業に使われる道をイヤイヤでも選ぶかと言えば、安定して金を稼ぐ手段が欲しいからだ。
たとえば、独学でプログラムを学んでiPhoneアプリかなんかを作って、それが一発当たって世界中で売れれば一生分の賃金を得られるかもしれない。
一生分の賃金を得る事が最終目標である場合、それを叶えてしまうと楽しみは無くなる。
そうすると目標を失い、あとは「余生」になってしまうのだ。
余生と感じてしまうと、実につまらないものだ。
 
そんな「安定」の次に求めるのは、「やりがい」や「生きがい」だったりする。
仲間と過ごす時間であったり、恋人と過ごす時間であったり、充実した仕事であったり。
 
自分の最終目標を考え、それを見つめてみるといい。
そこに自分の幸せはあるのか。
それが最も重要なポイントだ。
 
人によっては『芸能界に行きたい』と思う人もいるだろう。
芸能界で必要なスキルは何かを考えてみるといい。
有名人になれば、それはそれでトラブルが多かったりもする。
人気の上下などで鬱気味になる人もいるし、週刊誌にプライベートを晒される人もいるし、クスリに溺れる人もいるし、暴力事件を起こす人もいる。
 
また、「何のために芸能界に行きたいのか」というのも考えるべきだ。
「TVに映りたいから」だとすれば、なぜ映りたいのか。
「色んな人に知って欲しいから」だとすれば、なぜ知って欲しいのか。
自分を掘り下げていなければ、いつかはそこにぶち当たる事になる。
 
俺はこうして書いている間にも自分の中で論理的であるかを精査し、整理して自分に再び取り込んでいる。
こういう論理を自分の中に集めて行く事が俺にとっての生きがいであるからだろう。
 
“自分の中に発生したモヤモヤに答えを作る”
それが俺の生きがいであるからだ。
 
現在、中高生の君らは自分の最終目標がどこにあるかをよく考えてから行動して欲しい。
出来れば、それは死ぬまで終わらない目標であることが望ましい、と俺は思う。
目標を達成して終わらせてしまうと、そこから退屈な余生が始まってしまうからだ。
 
今回の生は残念ながら死んだら終わりだ。
その辺を踏まえて、悔いの無いように生きて欲しい。
 
次回の生にチャレンジしたい人は、イチかバチかのジャンピングチャンスをやってみても悪くはないと思う。
ただ、この世は気にしてもしょうがない事が多い。だから、悩む必要はない。
 
だが、考える事を辞めるのは人間を辞めるのと同じ事だ。
プラス方向に考え事をすると、脳内にβエンドルフィンも多く分泌されて気持ち良い。
マイナス方向に考え事をすると、脳内麻薬の分泌が断たれて禁断症状で胸が苦しくなる。
 
胸がキュッとくる感覚もまたイイんだけど、苦しみに安堵するのは幸せな人にはなれない。
肺をキュッと締め付けるタバコと同じだ。
多すぎると身体に毒だ。
 
ごまかそうとしても、ちゃんと見てるんだから、ごまかそうとしちゃいけない。
自分だけはごまかす事は出来ないんだから。
 
土台が歪んでたり、骨組みがズレてりゃ、ちゃんとしたモノにはならない。
分厚く肉付けしてごまかそうとしても、自分にだけはそれがわかってる。
 
土台を直さなきゃ、骨組みをしっかり組まなきゃ、そう思っているならやりゃいい。
直すのは恥ずかしい事じゃない。
ちゃんとしてないまま、放置している方がよっぽど恥ずかしいことだ。
自分でもそれがよくわかっているはずだ。
 
一度、頑張って直すだけで、そこからの人生は素晴らしいものになるだろう。
誇れる自分になれば、そこからようやく本当の意味で自分らしい人生を始められるのだ。
 
社会に出ると、そこが大きく影響してくる。
いずれ、この話がよくわかるようになるだろう。
 
良い人生を歩んでくれ。
 
 
2011/01/19


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