なぜ、人類は完璧な食事を作らないのか。
これは俺が昔から疑問に思っていたことだ。
なぜ、“パーフェクト・フード”が出来ないのか。
毎日のメニューを考える、栄養のバランスを考える。
人類は長い年月、それをずーっとやってきたはずなのに、いまだに答えが出ていない。
1日に摂取すべき栄養分などは、既に色々と解明されているはずだ。
さらに、1日に必要な運動量もわかっているはずだ。
なぜ、その点に関しては誰も答えを出さないのか。
パーフェクト・フードがあれば、誰もが健康的な食生活を送ることが出来るはずだ。
なのに、誰もそれを作ろうとはしない。それは一体なぜなのか。
一言で言っちゃえば、食の好みが様々だからなんだろう。
東南アジア人はココナッツやナンプラーが食べたくなる。
日本人は醤油や味噌や米が食べたくなる。
イタリア人はピッツァやパスタが食べたくなる。
アメリカ人はステーキとハンバーガーが食べたくなる。
だから、全世界に共通するようなパーフェクトフードは難しいんだろう。
味の好みには大きながあるからだ。
日本人の中でも納豆が好きな人と嫌いな人がいる。
もしも、パーフェクト・フードを作るとしたら、匂いや食感も重要になってくるはずだ。
その兼ね合いをどのように解決するかも問題になってくるんだろう。
たまに「無性に○○が食べたい!」という気持ちになる人にとっては、パーフェクトフードを食べなきゃならないことを苦痛に感じるだろう。
それまでの食生活の中で好きなものを好きなタイミングで食べていたから当然だ。
では、幼少期からパーフェクトフードを食べさせていたらどうだろう。
それが当たり前になれば、それに慣れるのではないか。
しかし、三大欲求の1つである食欲を固定化するというのは、難があるような気もする。
よく考えたら、睡眠時間も様々になるわけだし、決められた時間に食べることも難しいか。
結局、そこまでの管理社会というのはまだ人類に求められていないということなのかもしれない。
しかし、1ヶ月スパンとかでメニューを作るぐらいならいいんじゃないかとも思う。
いや、唐突に発生する「アレ食べたい!」という欲求を抑えるのはストレスになるか。
ストレスは身体に良くないな。うーむ、ジレンマ発生だ。
千年後くらいには実用化されてるかなぁ。
そんなこともないか。
食の時間というのは多くの人間が最も楽しみにしている時間かもしれない。
その楽しみを奪うというのが、そもそも愚かしいことなのかもしれないな。
だから誰も作らないのか。
そんな気がする。
2011/04/08
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