我が校の校訓は『正しく・強く・美しく』です。
今日はこの事について、お話したいと思います。
『正しく・強く・美しく』
さて、それでは“正しい”とはどういう事でしょうか。
校則を守る事は正しいことでしょうか。
学校においては、校則を守る事が正しい事だとされています。
まず、“本当にその校則が正しいかどうか”は問題ではありません。
たとえば、“制服を決められた通りに着てくる”ということ。
これは“学校内のルールにおいては正しい”ということになります。
ではなぜ、このようなルールが必要になるのでしょうか。
『別に洋服なんか動きやすいもの、カッコイイものを着ればいいんじゃないか。』
それは学校外においては正しい事であるかもしれません。
しかし、ルールを守らなかったらどうなるか。
その辺の例え話をしましょう。
あなたの大好きな人が殺されてしまいました。
あなたはどんな感情を持ちますか。
悲しい、寂しい、犯人が憎い、犯人を殺してやりたい、犯人は罰せられて欲しい。
当然、このような負の感情が出ると思います。
それは長い人類の歴史においても同じでした。
我々人類は多くの群れを成して行動しています。
群れの共通認識として、“同族を殺すこと”が正しくない事になりました。
殺人がしてもよい事になると、心の休まる事がなくなるからです。
常に気を張っていなくてはならない。
いつも心穏やかではいられない。
だから、殺人を禁止するルールを作ることになったのです。
それによって、人々は心の平穏を得る事にしました。
日本においても『殺人罪』という罪が適用され、殺人を犯した人は罰せられる事になります。
反社会的な行動の最たるものが、“殺人によって人々の心の平穏を奪う行い”であるというわけです。
さて、それではみなさんが社会に出るまでに学校で習うことはなんでしょうか。
その一つが“ルールを守ることによって、平穏な社会の一員になること”です。
校則を守らない人は、“ルールを守れない人である”という認識を受けます。
「ルールなんか知らねぇや、やりたいようにやるんだ」と言う人は、
「あの人はルールを守れない人であり、いずれ反社会的な行動を取る危険性がある」という認識を持たれる事にも繋がります。
つまり、ルールを守らない事がキッカケで、社会的な信用を失ってしまうわけですね。
「人々に危害を加える存在になるのではないか」という懸念を抱かせてしまうわけです。
ルールを守らないということは、そのようなリスクを負うことになります。
そのルールが間違っていると思うのであれば、正しい手続きを踏んで改正を求めるべきです。
それが社会的なルールに則った主張の通し方です。
「そんなくだらねぇルールなんか知らねぇや!」と言って暴れれば、ますます社会との溝は深まってしまいます。
『ウチの制服はダサイから着たくない。』
それは皆さんのような思春期なら当然のように感じる事であると思います。
もちろん、『別にこれでいいよー、面倒だしー。』と思う人もいるでしょう。
『制服を変えたい』という人が多く集まれば、制服を変更することは可能です。
生徒と保護者の過半数から署名を集めたりすれば、当然ながら変更の検討をすることになるのです。
これは生徒だけの署名ではいけません。
なぜなら、制服を買い与えるのは保護者だからです。
当然、保護者の意見も入れるべきであると思います。
学校生活は生徒諸君だけのものではないのです。
教師と保護者の監督の元に行われるものなのです。
今現在、自分の判断で勝手に校則を破り、制服をキチンと着ずにいる人はそのリスクを考えてください。
社会の認識は「ルールを守れない、だらしない、信用ならない人物」として見る事になります。
ルールを守れば、そのようなリスクを負う事もありません。
ルールが正しくないと思うなら、ルールを変える努力をしましょう。
仮に、みなさんの尽力によってルールを変えられたとします。
一時的にみなさんは『自分たちの努力が報われた』と感じるでしょう。
努力して勝ち得たという達成感もあるはずです。
教師である我々もルールに則った主張をし、団結して戦った生徒を誇らしく思うでしょう。
しかし、制服を可愛くすることがはたして本当に正しいことなのでしょうか。
みなさんが次にぶつかる壁はそこです。
“正しい”という認識は個々の主観からなる価値観です。
本当に正しいことなど、この世には無いのです。
制服が可愛くなったら、チカンや変質者に襲われやすくなったとします。
この責任は誰に帰る事になるのでしょうか。
“正しい”と思ってしたことが、別の問題を引き起こす。
これは社会に出てからも非常によくあることです。
どうかみなさんは多面的なモノの見方と考え方をして、
自分なりの答えを導き出す努力を怠らないようにしてください。
私は本校がそれほど可愛くない制服で良かったなぁと思います。
大切な生徒諸君が性犯罪者に襲われ、トラウマを抱える確率が下がると思うからです。
保護者の方々からお預かりした大切なお子さんであるみなさんを温かく見守るのが、
私の最も大切な務めであるからです。
以上で、私からのお話を終わりにします。
というような話をする校長先生になってみたい。
そんな妄想をしていたので書いてみた。
俺の小学校時代の校長先生は割と良い話をしてくれていた気がする。
そういった道徳教育が減るとモラルの低下にも繋がる。
キチンとした理由をもって、リスクを説明できる教師も増やさないとな。
マトモな教師も減ってきているように思う。
アホな教師に「校則で決められてるからダメ!」とだけ言われても、
生徒からしてみりゃ、「そんな誓約してませんけど?」ってカンジだもんね。
理由をしっかり教えてあげないと。
生徒を叱って締めつける事でストレス発散してる教師も多いしなぁ。
小中学校における道徳教育の重要性を再認識していただきたい。
また、出来ちゃった結婚も諸悪の根源であると思う。
モラルの低い大人からはモラルの低い子供ばかり生まれるのだ。
取り繕い婚はイカン。そうじゃないなら、まだ良いが。
「最近の子供は…。」とかほざく前に、大人がもっとしっかりしなければ。
子供に示しが付かないではないか。
2011/04/23
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