俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 149   環状七号線。
 
小さい頃は環七沿いに住んでたんだ。
小学校を卒業するまでの間だけどね。
ほぼ毎日救急車のサイレンが聞こえてた。
そんな俺は環七に特別な感情を持ってる。
 
幼稚園の頃から排気ガスで真っ黒になった街路樹を見ながら幼稚園とプールに通った。
街路樹で歩道が薄暗いんだがそれがまたいいんだ。
 
トラックのホーンがうるさくてビックリした事もあったな。
渋滞なんかしょっちゅうだったからイライラして鳴らすヤツが多かったんだ。
 
環七沿いの塀はスプレーの落書きで満たされてて、
それがいつ誰の手で書かれた物なのか気になった事もあった。
 
歩道橋を渡って環七を見下ろすと色々な車が走ってた。
兄貴が「あれは○○っていう車だ。」とか教えてくれたっけな。
俺は「一度でいいからガルウィングのかっこいい車が通らないかな。」といつも思ってた。
赤いスポーツカーに憧れた世代だ。
車種や名前なんてどうでもいい。
扉が上に開けばカッコイイと思ってた。
その車が3000万以上するって知ったのは大きくなってからだ。
 
カエルを捕まえて環七に投げ込んだ事もある。
潰れるところを見て後悔したっけ。
 
かんしゃく玉をばら撒いてトラックに急ブレーキ掛けさせたりもした。
今思えば事故寸前だったな。
危ない悪戯を思いつくガキだったよ。
 
小さい頃はラーメン激戦区の環七沿いのラーメンしか食った事が無かったから、
今の家に引っ越してきてから近所のラーメンのまずさにがっかりしたよ。
同時に環七沿いのラーメンが普通だと思ってた俺はかなり舌が肥えてたんだと気付いたっけ。
 
環七沿いの文房具屋で10円の消しゴムを兄貴と買いに行ったりもした。
何であんなに安かったんだろう、あの消しゴム。
 
環七で轢かれて死んだ友達もいたっけな。
聞いた話では弟と一緒に環七を渡ってビックリマンチョコを買いに行った帰りに
横断歩道に半分かかってたトラックがいて、その前を通ったときに気付かれずに轢かれたと聞いた。
仲の良い兄弟だったから弟が可哀想だったな。
 
それ以来、俺も横断歩道を渡るときは気を付けるようになった。
今でも必ずトラックが歩道にかかってるときは自分の存在をアピールしたりしてる。
轢くんじゃねえぞとばかりにね。
バカみたいだけどそういう事って大事だと思うんだよね。
安全第一だ。
 
今でもドライブ帰りに環七を通ると色んな事が頭をよぎる。
小学校の同級生は元気かなぁ。
 
 
2003/08/04


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