俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 204   ファミコンの思い出。
 
今回はファミコン世代の人間にしかわからないような話をしようと思う。
 
生まれて初めてやったファミコンのソフトはスターフォースとスパルタンXだった。
あれは確か幼稚園時代の夏休みに秋田のじいちゃんの家に行った時だ。
その年、兄貴(当時小学2年)は一人で先に秋田に来ていたんだ。
兄貴が伯母さんに連れられて行ったのか、一人で行ったのかは忘れたが。
俺は兄貴と少しの期間離れてたので寂しい思いをしてたのを覚えている。
 
んで、俺たちも後から秋田の家に着いた。
玄関でおばあちゃんが出迎えてくれた。
俺は兄貴が飛び出して来るものと思ってたんだ。
でも兄貴は出てこなかった。
「あれ?お兄ちゃんは?」とおばあちゃんに聞くと、
おばあちゃんは「お兄ちゃんはゲームしてる。」と一言。
 
俺はこの時、「ゲーム」と聞いてワクワクした。
茶の間に行くと兄貴が得意そうな顔してスターフォースをやっていた。
俺は当時ファミコンをウワサで聞く程度だった。
その「ウワサのおもちゃ」を目の当たりにした時の興奮はそりゃもう凄かった。
ファミコン独特の音楽や映像がすごく新鮮だった。
無理もない。
それまで俺の中でゲームといえばゲームウォッチしか無かったんだから。
ドンキーコングのゲームウォッチなどは何百回遊んだかわからないくらいだ。
 
有也「これファミコンでしょ?どうしてココにあるの?誰の?」
兄貴「おじいちゃんに買ってもらった。遊ぶ相手が居ないだろうからって。」
 
有也「俺にもやらせて。」
兄貴「ハァ?今俺がやってるんですけど。どうしようかなぁ。」
 
有也「お願い〜!やらせてよ〜!(ダダっ子モード)」
兄貴「まぁ俺が終わるまで待てや。」
 
有也「どのぐらい?」
兄貴「さぁな。(笑)」
 
有也「代わってよ〜!!(半泣き)」
兄貴「うるせぇなぁ。ほらよ。好きにやれや。俺、アイス食おうっと。」
 
有也「やった〜!」
 
こうして俺は生まれて初めてファミコンをやる事が出来た。
最初の1年間はスターフォースとスパルタンXだけをずっとやっていた。
「スパルタンX」がジャッキーチェンの映画だと知ったのはそれから5、6年後だった。
 
小学校に入学してすぐにクラスでスーパーマリオブラザーズが話題になった。
友達はみんなやっていた。
俺はやった事が無かった。
やってみたくて仕方が無かったという記憶がある。
「スーマリ持ってるぜ。」という友達の家に誘われた時は嬉しかった。
 
学校から帰ってすぐに商店街に集まり、そこから歩いてすぐの所にある友達の家に行った。
俺の目的はスーパーマリオだったが、友達はみんなハイパーオリンピックに夢中だった。
「スーパーマリオやりたい。」と言い出せずに俺はしばらく見ているだけだった。
友達に「有也もなんかやるか?」と言われ、俺は待ってましたとばかりに、
「スーマリやらせて。」と頼んだ。
 
俺のスーパーマリオ初プレイは最初のクリボーに突っ込んで終わった。(笑)
「有也ヘタだな。貸してみ。」
友達にコントローラーを奪われ、自分の順番を待った。
しかし、盛り上がってうるさくなったせいか、友達のおばさんに止められた。
「アンタ達ゲームばっかやってないで外で遊びなさい!」
そこでゲームは終了。
隣にある公園でカンケリをする事になった。
俺はジャンプする事もBダッシュする事もなしに、
最初のクリボーにやられてしまったのでかなり不満だった。
もう一度やるのはいつになるだろう。
 
それから数ヶ月が経ったある日、朝6時半頃に何かの物音で目を覚ました。
起きると兄貴がスーパーマリオをやっていた。
兄貴「やべぇ、バレたか。」
兄貴は得意げな表情でそう言った。
 
有也「なんでウチにスーマリがあるの?」
兄貴「実は昨日、おまえが寝てる間に新宿の小田急デパートに行ったんだ。」
 
有也「え?じゃあ昨日からあったの?」
兄貴「おう。おまえが寝てる間にやってたんだぜ。」
 
有也「ずるい!俺にもやらせてよ。」
「有也!アンタ学校に行く準備しなさいよ。お兄ちゃんもだから言ったでしょ。
  有也が起きたら絶対にやりたがるから帰って来てからにしろって。」
 
有也「一回だけ。」
「じゃあ一回だけよ。」
 
こうして俺は登校前に自宅でスーパーマリオをやる事が出来た。
土管を越えた後、すぐに穴に落ちて死んでしまったが。
 
 
2004/03/24


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