HPを運営する上で最も読者に叩かれる対象になりやすいのが、
宗教・政治についての思想であると前にどこかのHPで見かけた事がある。
俺はそれらを既に書いてしまったので、残るは2ちゃんねるくらいじゃないかと思うのだ。
実際、ウチのHPで2ちゃんねるの話はしてこなかったと思う。
俺としては大好きなくらいなのだが、読者の中にはそうでない人もいるだろう。
2ちゃんねると聞いただけでも眉をひそめる人も何人かいるんじゃないだろうか。
最初に言っておくが、俺はこのHPを万人向けに書いているつもりだ。
色んな人が沢山あるコンテンツのどれかで楽しんでくれれば良いと思っている。
例えばマニュアルは恋愛に興味がある人を対象にしているし、
一気コールは飲み会好きな人を対象にしている。
俺のたわごとはくだらねぇ事を考えるのが好きな人を対象にしている。
そして、それらはなるべく標準語で口語に近い言葉で書くように心掛けている。
だから2ちゃん語を含むネット用語はなるべく使わないようにしてるのだ。
普段、メッセでチャットをする時なんかは(笑)では面倒なのでwを使うし、
2ちゃんにどっぷり浸かっている人と話す時は2ちゃん語も使う。
決して、2ちゃんねる及び2ちゃん語が嫌いなわけじゃないのだ。
ウチの感想掲示板に2ちゃん語で書き込みをした後に、
「2ちゃん語使っちゃった…。ゴメンなさい…。」と謝って来た子もいたが、
俺は万人向けに書くために2ちゃん語を使わないだけなのだ。
それはただの流儀でそれ以上でもそれ以下でもない。
ただ、書き込む人は他の読者にもわかるような言葉で書いて欲しいとは思っている。
できれば、自分の書き込みも他の誰かに見られているという意識をしてもらいたい。
ついでに言うと、俺が最初に恋愛エキスパート有也などとイタイ名前を名乗って、
人様の相談を受けさせていただいたのは2ちゃんねる上での事なのだ。
実はヒマ潰しにシャレで付けた名前だったのだが、その時の回答が意外と好評だったので、
その中でのアドバイスをまとめた結果、このHPの土台になったわけだ。
タイトルに名前を入れたのも、インパクトが強いタイトルにしたかっただけだ。
まぁ、そのおかげもあってリピーターも多いようで結果として良かったと思っている。
さて、今回はそれらを踏まえて話をさせてもらおう。
たまに2ちゃんねるを毛嫌いしている人を見かける。
「自己中心的で精神的に子供な人間が多い」だとか、
「2ちゃんねるが原因で色んな事件が起こっている」だとか、
「2ちゃんねるはオタクが多くてキモイ」だとか、
「親殺しの子供が増えているのもネットの影響」だとか、
こういうのを聞いてると、2ちゃんって偏見に満ちた目で見られているんだなぁと思う。
2ちゃんねるをひとくくりに毛嫌いするというのは宜しくないと思うのだ。
それは2ちゃんねるを利用している人を偏見の目で見る事に等しい。
今や有名政治家でも「2ちゃんねるを見ている」と公言している時代。
それだけ色んな職種の人々が利用している証拠なのだと思う。
2ちゃんねるは1日に3億PV。その数値が何よりの証拠だろう。
今や2ちゃんねるは決して偏った人間の集まりではないのだ。
2ちゃんねるを利用する人々を一緒くたにする事自体がおかしい。
例えば、ニートもいれば芸能人もいるし政治家もいればサラリーマンもいるのだ。
2ちゃんねる利用者をまとめて偏見の目で見ている人はそこを知っておいて欲しい。
いや、多くの人が利用しているからといって肯定しようとしているわけではない。
ここで言っておきたいのはそれだけ多くの『人』が存在するという点だ。
今やネット経験者で2ちゃんねるを知らない人なんていないと思う。
それだけ多くの人々に深く広く浸透しているのだ。
つまり、『2ちゃんねるが嫌い』というのは『人が嫌い』という事になるんじゃないだろうか。
もっと言えば、『人の内面が嫌い』という事になるんじゃないかと思うのだ。
2ちゃんねるには人を罵倒し合うスレッドもあれば、お互いを思い合うスレッドもある。
毛嫌いしている人は悪い部分だけを見て全体を決め付けているわけだ。
外国に行って「俺は日本人は嫌いだ」などと言われたらどうだろう?
普通の人は嫌な気分がするだろう。
だが、2ちゃんねる全体を嫌う人はそれと同じ事をしているのだ。
人にされて嫌だと思う事は人にするべきではない。
また、数々の批判も的外れなモノが多い。
例えば、実際にネットの影響で親殺しは増えているのだろうか。
実は、親殺しは年々減少の傾向にあるのだ。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-sonzokusatu.htm
ここ40年間で親殺しが最も多かった時代は1972年。
そこからは徐々に減っていっている。
それなのに、なぜ最近はそういった報道が多く目に付くのか。
原因はマスコミの倫理観が崩壊している事にあると思うのだ。
以前は親殺しなどは報道倫理に反するものであるとし、あまり大きく報じなかった。
それが今では必要以上に世間を騒がせた方が視聴率が取れて良いとする風潮があるのだ。
TVのニュースキャスターやら専門家やら有識者と称される大人は、
現代の子供を『キレやすい』『考える力が乏しい』『短絡的』などと当てはめようとする。
子供の考える事を理解し、歩み寄る努力をしないから子供の気持ちがわからないのだ。
そこで、誰かが言い始めた流行の言葉に当てはめて知ったかぶりをするのだ。
誠に愚かしい事だ。
親からまともな教育を受けてきていないのだろうか。
そして、さらにマスコミに露出する大人は子供に対してだけでなく、
その親までも流行の言葉の枠に当てはめようとする。
『悪い意味での放任主義』『しつけが出来てない』と責めるのだ。
そうやってもっともらしい事を言って世間の不安感を煽り、
危機感を煽るのがヤツらの仕事なのだ。
「世間を騒がせて視聴率が上がれば結果オーライ。
あとはどうなろうが知ったこっちゃない。」
そんな倫理観に欠けた組織が現代のマスコミというものなのだ。
そんなマスコミに流されて人を分類し、自分に必要な人間とそうでない人間を分ける。
そんな悲しい事はないじゃないか。
いや、事件に対する怖れがそうさせる部分があるのは理解できるが、
その人々の怖れから逆に孤独になってしまった子供を、
ますます社会から孤立させてしまう結果にするような気がしてならない。
昔
少し手間のかかる子→変わらず接する→群れに入る
現代
少し手間のかかる子→怖れて離れる→群れから離れる
人の内面には汚い部分も綺麗な部分もある。
それを一緒くたにして遠ざけるのはいかがなものか。
なんというか、人を簡単に切り捨て、見離す人間が多くなったように思う。
それがただただ寂しい。
俺は人が好きだ。
汚い部分も綺麗な部分もまとめて好きだ。
それは遠い昔から変わらない事だと思うし、昨今の世がどうこうじゃないと思う。
今後、親殺しが増えるとすればそれは間違い無くマスコミのせいであると言えよう。
人はなるべく嫌わず、袖振り合うも多生の縁と行こうじゃないか。
自分に有用か否かだけで判断するのは寂しい社会を作る事になるから。
余計なお節介かもしれねぇがそういうこった。
年を食うと熱くなっちまってどうもいけねぇ。
俺のたわごとなんかに貴重な時間を割かせてスマンね。
あ、間違えた。長文スマソw
2006/09/29
|