俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 464   自分の中にある才能。
 
ある女の子と話をしていた。
自分には何の才能も無いんじゃないかと落ち込んだりするらしい。
 
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私、お金よりも気持ちの安定が欲しい。。
 
不安定の中にあるモノに美学を感じる事は無いのかね。
 
幸せで何も考えなくてもいい時は、不安に慣れてるからそれに不安を覚えますね。
なので、不安定でもよかったりするんです。
画家とかミュージシャンは幸せじゃアートは作れないと思うこともあるし。
 
無いものねだりだよ。
俺は自分に無いものは欲しがらない。
 
そうか。。
自分にもしかしてあるかもしれないから、欲しいのかもしれないんですね。
 
俺にはそれを補って余りあるモノを持ってるから、満足してるんだろうな。
それをもっと掘り下げていった方が楽しいとも思うし。
 
持ってるものを見直すってことですね。
 
うん。
自分の持ってるモノがちゃんと見えてないから目移りするんだよ。
 
うーん、なるほど。
 
自分をキチンとわかっていないうちに他が良く見えてしまうとそっちばかりが羨ましくなる。
『自分には才能が無いのか』と不安になったりもする。
 
他人のを見る前に自分のを全て探す努力をせねばイカン。
 
そのとおりだ〜 。
目からウロコです。
 
俺はまだまだ自分が謎に満ちた可能性を持っていると思っている。
非常に興味深い。
 
自分でやってみると、「おぉ、俺にはこんな才能もあったのか。」と思う事も多い。
 
もっとチャレンジしなきゃですよね〜〜
 
要は癖なんじゃないかと、思うんですよね。
ずーっと不安だと不安じゃないのが不安になる。
ずーっとネガティブのまま。
ポジティブ思考を続けてると、どんどんいいアイディアが浮かんでくる、という。
 
考え方のベクトルの違い。
それだけで変わるんだけどね。
 
考え方で人生かわりますからね。
相手が目の前にいるだけでも、その相手に対する感情が変われば見方が変わってくるきますし。
 
『先入観』ってもんが自分の足枷になることもある。
自分で自分を縛り付けて追い詰めてそれにも気付かない人はたくさんいる。
俺は自分を自由にしてるからな。
 
自由に。。
 
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自分の中にある才能を発見するのは長い年月を要する場合が多い。
それも10年や20年という単位でだ。
 
彼女は俺に「有也さんは文才があるじゃないですか。」とも言ったが、
俺はこの程度の文章力では『才能』と呼べるモノだとは思っちゃいない。
 
俺の中で『才能』と呼べるレベルに達する可能性のある能力はこれじゃないと思っている。
それ以外にも俺の中に芽生えようとしている部分が沢山あるはずなのだ。
それなのに、今の時点で「俺は文章の才能だけで行くんだ。」などと決めたら、
その他の芽を摘んでしまうことにもなりかねないような気がしている。
それはもったいないんじゃないだろうか。
 
俺は出来る限り自分の可能性を残して行きたい。
だから簡単に自分の進むべき道を決めたくはないのだ。
とりあえず、書くのは楽しいから今後も一生続けていくが。
 
だが、晩年になって悔やむのかもしれない。
「あぁ、こんな才能があったのに気付かずにいた!俺はもう長くないのに!」と。
 
しかし、2分後には、
「ま、それもまた人生。とりあえず、やれるトコまでやろうっと。」
ってなくらいに思うんだろう。
 
また、それが達成できなそうな寂しい気持ちすら楽しむんだろう。
 
俺はいつだってそうだ。
ジジイになってもきっとそうだ。
だから何も心配してない。
 
ただ、一つだけわかる事がある。
俺が自分の中にあるホンモノの才能に気付いたら、それ以外の事が頭に入らなくなるだろう。
好きが高じてとんでもない事にもなるかもしれない。
そうなったら、家族も放ってそれにひたすら没頭するかもしれない。
 
それは楽しみである反面、恐い気もする。
 
何にしても、俺は焦らずゆっくりと自分と付き合って行こうと思う。
それが見つからなくても人生は充分に楽しい事を知っているから。
 
今だって、こんなに楽しい。
つれづれなるまゝに 日暮らし PCに向かひて。
 
 
2006/12/06


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