俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 556   ルールとモラル。
 
愛煙家も嫌煙家も、どっちも行き過ぎると鬱陶しい。
 
どこに行ってもタバコを吸わずにいられない愛煙家と、
ちょっとタバコの匂いがしただけで烈火の如くにキレ始める嫌煙家。
どっちもどっちだ。
 
都内の歩きタバコの罰金2000円〜3000円ってのも、本末転倒なカンジはする。
罰則の為の罰則になってるような。
 
3万円を投げ捨て、制止を振り切ろうとするホステス。
http://www.youtube.com/v/KF8cjmZ20a0
 
このホステスの「金を払えばいいんだろ?とっとと通せよ!」という発言も、
非常に考えさせられるものがあるように感じた。
 
ここで3万円を投げ捨てる行為というのは、
勝手に決められたルールに対する強い意思表示にも思える。
 
勝手に区切りを作って、「この辺ではタバコ吸っちゃダメ」とか言われてもね。
これまでは良かったわけだし、「んじゃ罰金を払えばいいの?」って話にもなる。
 
 
ここで社会の風潮が全く逆方向に走っていた場合、
「タバコ嫌いな人間は街を歩くな!もしくはガスマスクでもかぶれ!」
という方向になっていたとしてもおかしくはないわけだ。
 
つまり、善悪をどっちか一方の視点から押しつけている事に問題があるわけだよ。
タバコが良い悪いとか、そんな低レベルの話じゃなくてね。
 
 
 
たとえば、交通標識なんかもそうなんだけどさ。
なんか、罰則の為の罰則になっちゃってる感があるよね。
 
安全な通行をしてもらうために交通標識を付けるわけだけど、
ものすごい見通しの良い道でも、一時停止線を少し超えただけでアウトとか、
踏切で最徐行して時速3kmくらいで通過し始めても、完全停止してないからアウトとか。
そういうところで捕まえるのって、なんかおかしいと思う。
 
 
本来の目的から大きく逸脱しているルールの行使ってあるよなぁ、と思う。
守るためのルールに堕した瞬間、そのルールはただの罰則規定でしかなくなる。
 
 
たとえば、中学校で指定の通学靴があるとする。
家を出た途端にドブにはまってしまったら、家に帰って別の靴を履くだろう。
 
しかし、そんな事情を知らない教師は指定靴ではないそれを見るなり叱りつける事もある。
「貴様、指定靴はどうした!」と。
 
多感な時期の生徒がいきなり怒鳴られた場合、まず萎縮してしまう。
「あ、あの…。汚れちゃって…。」
などと、焦ってキチンと説明出来なくなってしまう事もあるだろう。
 
「それが先生、マジウケるんすけど、家出たらドブにハマっちゃって!笑」
なんてDAIGOばりに言える子ってのは少ないと思う。
 
そういう時に、「そもそも、なんで指定靴にする必要があるん?」という疑問が沸く。
先生はそういった質問に対して、完璧に答えられなければならない。
 
決められたルールを守らせるだけでは、能が無い。
ルールが出来た理由を答えられて、生徒を100%納得させられなければならない。
 
先生は間違っても「そう決まってるからだ!」などと、
答えにもなっていない答えを言ってはイカン。
これでは生徒も先生に対する不信感を持ってしまう。
 
守るためのルールは意味が無い。
なんらかの打開案/妥協点としてのルールでなければ、守らせる意味もない。
 
「指定靴にしないと、そういうトコでムダなオシャレ競争が始まるから、
そういうところにムダな労力とお金を遣わないために指定靴があるんだよ。」とかね。
 
そう言われれば、生徒の方だって、
「あぁ、そうでしたか。さすが先生。納得できました。」ってなもんだ。
 
指定靴以外を履いて行く場合はキチンと説明をする必要があろうけれど、
それは別に着いてからでも良いんじゃねぇのとは思う。
 
保護者が事情を説明すれば、一番問題が起きないんだけどね。
「こういう事情で、今日は違う靴を履かせますね。」とでも言えばさ。
でも、ご両親も朝は忙しいのが普通だからねぇ。
 
そういう時にルールのためのルールで縛りつけてはイカンと思うのだよ。
誰もが納得できるルールでなければならないし、
ルールを守らせる人間にはそのルールが出来た理由も説明できないとイカン。
 
そういう事をちゃんと説明しておけば、
卑怯にも、誰もいない夜の校舎で窓ガラスを叩き割り、
他人が苦労してようやく買ったバイクを盗んで走りだしたり、
そういった被害を出すような頭のおかしい生徒も出てこないと思うのだ。
 
 
しかし、あれだね。
縛れば、「この支配からの卒業がしたい」などと言い、
放置すれば、「俺はもっと愛が欲しかった」などと言いだす。
 
そんな構ってチャンばかりだもんな。
子供が多すぎる。
 
 
そして、そのうち始まるのが死ぬ死ぬ詐欺。
「もう死んじゃおうかな…。」は、
「止めないと死んじゃうよ?いいの?いいの?」に変換が可能。
結局は「構ってよぅ。もっとこっち見てよぅ。」という身勝手な甘え根性。
 
好きにすればいいよ、生きるも死ぬも。
自殺も人間に与えられた権利の一つだと思うし。
 
飽きたら終わるのもいいんじゃないかな。
自分の人生なんだし。
 
オランダは70歳以上になると安楽死が認められているとか。
いやぁ、オランダはいっつも未来に生きてんな。
 
 
 
おっと、話を戻そう。
 
“街でタバコを吸う権利”ってのを没収されて、
“街でタバコの煙を浴びない権利”だけが生きれば、
そりゃこういういさかいにもなりますわなって話だ。
 
タバコが体に悪いだとか言うのなら、そもそも売っちゃダメじゃね?ってトコだよね。
 
俺がもっと危惧してるのはアルコールなんだけどさ。
酔って運転したり、人を殴ったりして殺しちゃうヤツはメチャクチャ多いけど、
タバコの煙では、すぐに人を殺すまでいかないしね。
 
タバコの煙の害を言い始めたら、車の排気ガスの方が迷惑で有害だと思うし。
車の排気ガスを車内に引くだけで自殺できるもんねぇ。
 
 
なんか、色んな所で線引きがおかしいような気がしないでもない。
 
俺もタバコを辞めてからというもの、タバコの匂いは好きじゃなくなったけど、
なんだかそこまで目くじら立てるほどの話じゃないような気がするし、
そういう事に必要以上に目くじらを立てる人間って、
ちょっと人間的におかしいような気がするんだよなぁ。
 
 
 
あまり関係無いけど、「照明をこまめに消せ!」ってのもどうなんだろう。
 
照明ってのは、最も目に付く電気の使い道だからか、
そういうトコからエコ活動をしようとするバカが多いんだけど、
あれこそホントに非効率なエコの代表だと思うんだよね。
 
そういうトコでいちいち口うるさく言う事によるストレスも馬鹿らしいし、
蛍光灯をちょこちょこ付けたり消したりする事による消耗の方が激しいんだよな。
 
蛍光灯の寿命は1〜2万時間くらいなんだけど、
1回のオン-オフで蛍光灯の寿命は1時間くらい縮まっているらしいし、
1日に10回も20回もオンオフを繰り返すぐらいだったら、点けっぱなしの方が良いらしい。
 
そういう事を知らない無知な人間が、
「電気をこまめにオンオフすること」なんていう間違ったルールを作るんだよな。
 
 
もうさ、おバカさんはルールを作っちゃダメだよ。
みんなに迷惑だから。
 
納得できる答えを導き出せる人がルールを作るべき。
 
 
そのルールが嫌だと思う人は他の自治体や学校や会社に行けばいいよね。
より納得できる答えを導き出せるのなら、ルールを変えるのも一つの手だよね。
 
 
2010/05/14


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