俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 560   排他的ナワバリ意識。
 
ゴルフ練習場でオトンのスイングを眺めていると、
通路にやたらと大きい声で話し始める2人のオッサンが現れた。
どうも、ここの常連か従業員であるらしい。
 
『ここは俺のナワバリだ』と言わんばかりの大きい声で話す人間を俺は好きになれない。
よそ者を遠巻きに眺め、アラ探しをするような連中が多い。
どうもいけ好かない。
 
その2人は若者の話を始めた。
「最近の若いのはゴルフをあまりやらない。」
「こらえ性が無いんだろう。」
そんな内容だった。
 
ゴルフはガマンのスポーツであり、
それをやらない連中はそもそもこらえ性が無いのだと言いたいらしい。
 
逆に言えば、自分たちはこらえ性のある立派な人間であるとでも言いたいのか。
それはそれは。大した連中だ。
 
他の練習場と比べて安いからといって、
オトンにはあまりこういうゲスの集まる練習場に行って欲しくないものだ。
しかし、オトンにとってはそんなものは問題ではないのかもしれない。
 
オトンは自治会の役員をやれ、と言われるくらい、地元のオッサンらに気に入られている。
正直、地元のオッサン連中もあんまり良い連中とは言い難いと思うのだが、
どうやら、オトンは慈悲の心が強いらしい。
 
近所にちっとも繁盛してないコンビニがあり、オトンはそこでビールを買うようにしている。
オトンに対して「定価なのに、なんであの店で買うんだい。」と聞くと、
オトンは「同じ地元に住んでいる人の力になりたいからだ。」と言う。
 
俺から見る限り、そのコンビニは経営努力のカケラもない店だ。
店のオヤジは無愛想でおよそ客商売に向くようなタイプではない。
世が世なら因業大家にでもなっていそうなタイプだ。
 
地元の自治会長もそうだし、議員をやっていた地主のオヤジもそうだ。
自分のナワバリで幅を利かせる、いけ好かない連中だ。
 
しかし、オトンはそういう連中とも仲良くやれている。
俺はそういう連中が嫌いだから上手くやろうとも思わないが、オトンはそうではないらしい。
 
それはオトンがサラリーマンだったからなのか、
近所付き合いのため(ひいては家族のため)にやっているのか、
飲み友達として(たとえしょうもないヤツでも)大事にしているのか。
その辺の理由は聞いた事が無いのでわからない。
 
とはいえ、俺にもその気持ちがわからないでもない部分がある。
水商売をやってる時代に付き合いがあった連中はロクデナシばかりだ。
しかし、俺は彼らをとても愛していたし、大事にしていた。
やはり、一緒に過ごすうちに情が移ったりするというのもあるのかもしれない。
 
いけ好かないヤツでも100回遊べば仲間になっているもんだと思う。
その辺の切り替えみたいなもんがオトンは俺よりも早いのかもしれない。
 
いや、俺はガマンをせずにいられないだけかもしれない。
俺はぶつかってみて、そこで相手の人間性を判断してみようとする。
オトンのように当たり障りなくスルーしようとは思わないからか。
好きとか嫌いとか言ってられない状況に慣れるとそうなるのか。
 
俺はむしろ、昔の方が人の好き嫌いは少なかったかもしれない。
『昔は自分の中で白黒ハッキリしてなかったから』ってのが理由にあるかもしれない。
いや、自分の中でナシと判断したものを排除するかどうかってのはまた別の問題か。
 
仲良くしたくもない人と(タテマエでも)仲良くすることが、
今後の人生において必要になるかならないか。
それ次第では、自分の取るべき態度を考えた方がいいかもしれない。
そこについてフワッと考える良いキッカケになった。
 
俺はみんなが面倒臭がるような癖の強い人とは(さみしんぼが多いから)すごく仲良くなれるのだが、狭いナワバリで幅を利かせたがるようなヤツ(田舎根性が強く、排他的なヤツ)はちっとも相手にしたくない。
 
そうか、俺は人を差別する人間を差別しているのか。
ん?これって前にも考えた事があるなぁ。
 
とりあえず、こっち方面からのアプローチはした事が無かったから、
こうして言語化して整理できたのはとても良いことだ。
 
なるほど、やっぱり俺はマクロ視点で群れ全体を見ていて、
自分勝手なナワバリ意識で、群れ全体の成長を妨げる連中が嫌いなんだ。
また、自分は大層な人間でもないのに人を見下してかかる連中も嫌いなんだ。
 
しかし、嫌いだからといって排除してばかりもいられないな。
それじゃ、以前に失敗した選民思想になってしまう。
 
そのような連中にも群れ全体の成長を考えさせるかが大事なのか。
そうすると、同じような思いをさせて反省させるか、
客観的に自分を見せて反省させるか、論理的に説明して納得させるか、
そんなカンジに行き着くような気もするなぁ。
 
あれ、なんかこの方向性は宗教っぽい。
悪い方向に行くと、それはそれでとんでもない価値観の押しつけだよね。
それが正しかろうがなんだろうが、強制するような事でもないかもしれない。
『こういう考えにならなきゃいけません』的な押しつけがましい宗教は多いもんな。
 
人は人、我は我でいいのか。
結局、狭い考えで損をするのはその人だから。
うーむ、それはそれでちょっと慈悲にかけるような気もする。
 
最終的には法に照らすしかないのかな。
それはそれで法に丸投げにしてるような気もするな。
 
あ、オトンは『郷に入っては郷に従え』を実践してるだけかな。
オトン自身が悪い方向に行かないから、それはそれでいいのか。
だとすれば、すごく納得できる。
 
よし、それじゃ俺もオトンに倣うとするか。
 
 
2011/02/08


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