先日、マンションの11階から小学生が転落死する事故があった。
排水パイプを伝って下の階に降りようとして、転落してしまったらしい。
本人は遊びのつもりだったのだろうが、命かけてまでやる遊びじゃなかったな。
気付いた時には遅かっただろうが。
お子さんがいる家庭では、このニュースを話題にして、しつけに役立てて欲しい。
一人の犠牲で二人が救われれば、その死にも意味はあると思うのだ。
俺も幼い頃に危険な遊びはたくさんしてきたが、
親から悲惨な事故の具体例を聞くことで、危ないことをしないよう気を付けるようになった。
自分がそうなりそうな状況を想像することが大切だと思う。
2階から飛び降りても、骨折するかどうかは微妙なところだが、
体重の軽い子供でも、3階以上は死ぬか重傷になる。
その辺の感覚は実例で教えていくべきだ。
単に「危ないよ」とだけ注意されても、
子供にしてみりゃスリリングで楽しい遊びを反対されてるだけとしか思わない。
大人に反対されたら、大人から隠れてやるようになるだけ。
注意する側の大人も、ただ止めるだけでは逆効果だと気付くべきだ。
昔は子供だったんだから、子供の気持ちにもなれるはず。
子供は大人と違って、理由無き反対には耳を傾けない。
理由まで具体的に言える大人が注意すべきだ。
理由まで具体的に言えない大人は、言える人にバトンタッチすりゃいい。
『そういうものだから』とか、『決まりだから』なんていうバカの一つ覚えは通用しない。
そんなものを押しつけられても、馬の耳に念仏を唱えるようなもの。
子供からすれば、「知らんがな」としか言いようがない。
そのルールを決めたのは自分たちじゃないし、決められた背景も知らないんだから。
理由を説ける者だけが注意をしなければ、ますます危険なことにもなりかねない。
反対のための反対には全く効果が無く、反発されるだけだ。
ルールに従わせたいのであれば、その理由をキチンと説明できる人になるべき。
それが出来ないのであれば、出来る人に託すべき。
子供にはなんら非は無いのだから。
本当に子供を心配するのであれば、そこまで考えなければならない。
注意したいだけの大人は、子供を煽ってるのと何ら変わらない。
それを自覚すべきだ。
【追記】
このような事態になると遺族はやり場のない悲しみに苛まれることになる。
そして、その矛先をどこかに向けたくもなる。
今回のケースでは、それについてのことは一切無かったのだが、
稀にこういうケースでマンション側の管理責任を問う場合がある。
しかし、それが筋違いであることは火を見るよりも明らかだ。
彼は自らの意思で危険な遊びをすることにしただけだ。
その代償を覚悟してたかどうかは問題ではなく、
外階段に柵があったかどうかも問題ではなく、
その遊びをしたかったから、実際にしただけだ。
彼は自分との勝負をし、命を落とした。それだけだ。
誰にも罪はないし、誰にも非はない。
『死んでしまうかもしれないが、それでもやりたい』という覚悟があるのなら、
大人になってからもロッククライミングなり何なりやればいいと思う。
自分の納得だけがこの世の正義だ。
それによって誰かを悲しませてしまうことになるのならば、その点も考慮に入れて、
その上で、それでも行かねばならないのならば、その誰かを失う覚悟もするべきだ。
2011/02/22
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