俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 562   親と向き合うこと。
 
相談というのは、大元を辿って原因を知ると解決することもよくある。
 
俺が電話相談などを受けていると、
「恋愛相談のつもりが人生相談になっちゃいましたね。笑」
と言われることが非常に多いのだが、
俺はハナから大元を辿って原因を突き止める事ばかり考えているのだ。
 
“悩み”というのは表面に浮き出た氷山の一角でしかなく、
それを形成するに至った元を辿ると、ずっとずっと基礎の方まで戻ることになる。
 
人格形成の基礎、つまりはその人の生い立ちだ。
相談の途中仮定では、そこを探る事になることが多い。
 
 
 
相談掲示板で受けた、ある相談を例に挙げよう。
(相談者の会話はピンク、俺の返信はブルーで表記)
 
最近更新された、季節の一言の「甘え」を読んで思い出したことを書きます。
 
この間告白されました。
その男の子は自分の意見を言うんですが、
私が意見を出すとそれに合わせるようなとこに違和感を感じて、結局断りました。
 
彼「こうこうこー思うんだよー」
私「えぇーでも こーなんじゃないのかなぁw」
彼「はいっww」
 
みたいな感じです。伝わりづらくてすみませんw
 
私が思ったのは、
自分の意見を言ったときに相手から合わせられると
自分が間違ってたときに叱ってくれる人がいないからいやだなぁと。
恋人って、身近な存在であるからこそ言ってほしいし、
 
自分に自信がないわけじゃないけど、
自分がいつでも正しいって思えないし、違うときは違うって言ってほしいのと、
恋人とは本音を出しあえる関係でありたいです。
 
ちょっと夢みてますかねぇ(´・ω・`)
 
 
別にその件に関しては夢見てはいないと思う。
そういうのをちゃんと優しく諭してくれて、イイ子イイ子してくれる男ならOKなわけだし。
存分に夢を見ちゃってくれ。
 
身近な存在であるからこそ、気を遣って自分の意見を曲げて欲しくはないけど、
身近な存在であるからこそ、言って欲しくないこともあったりするわけだよ。
受け止める時の心情にもよるわけだしね。
会社で凹んで、家でも凹まされたらイヤでしょ。
 
 
そうですね・・。思いあたる節があります。
そこで
「今日〜〜だったんだけどさー、もうやだぁーー」
「えぇーでもそれってこうなんじゃない?」
「んーそうだけどさぁ・・w」
 
ってなるより
「今日〜〜だったんだけどさー、もうやだぁーー」
「そうかぁ 大変なんだなぁ・・ココアでも飲む?」
「飲むー!」
 
ってなるほうが好きです。
妄想劇場繰り広げてどうもすみませんwちょっと違いますか?
 
 
妄想劇場は大いに繰り広げてもらって結構。
そういうシミュレーションみたいなもので自分を知ることが出来るからな。
 
「ココアでも飲む?」となるのは思いやりのある男だよねぇ。
でも、常にそういう対応をしてくれる人って滅多にいないからねぇ。
 
それを相手に期待する人っているけど、やっぱり自分勝手だと思う。
常に自分の心理を最優先しているように感じるというか。
“病める時も健やかなる時も共に歩める人”じゃないような。
もてなされないと不満が出てしまうというのはねぇ…。
まぁ仮に行き遅れたら、その辺を考えてみて欲しい。
 
 
具体的な理由はないんですが、なんとなく両親からの愛情不足を感じてて、
ふとした瞬間にすごく 欠けてるんだなって気付かされる時があるというか・・
コンプレックスになってるんだと思います。
 
どうしてあの子は両親から愛情をもらったのに、私はないんだろうとか、
このままずっと欠けたまま生きてくのかなぁとか。
人に自分が満足いくまで甘え切れないのはこの辺に原因があるんだなと思ってました。
 
両親のことですが
母も父もあんまり愛情を受けて育ってないように感じます。
 
母はかなり尽くすタイプの女性ですが、
子供に尽くすことでその子供から愛情の見返りを求めてるんじゃないかと思ってて、
思いこみと言ったらそれまでですが・・。
私は母とは、私が弱ってるときに一緒にいると、精神的にバランスを崩すので
自分が元気なときにしかちゃんと話せません。
 
父とはあんまり目を見て話ができなくて、なんとなく照れくさいだけかもしれません(笑)
もうちょっと優しかったらなぁとたまに思います。ちょっとした父の言動が無性に寂しく感じます。
 
なんかなぁ、母は父のこと悪くいったりするし・・。父は言いませんが。
両親はお互い好きだから結婚したんじゃなくて、お互い都合が良かったから結婚したんだろうなと。
父はどうか分かりませんが、母はもうあの人はああいう人だからしょうがない、って割り切ってる感じです。
現在は建前がある別居みたいな感じですし・・。むー(´`)
 
そこから言えるのは、だから私は結婚に夢を見出せないのだろうと。
ブライダルとかの雑誌を見ると綺麗だなぁって思いますけど(´・ω・`)
 
 
両親から受けた愛情の形が自分の愛情に対する価値観の基礎になる。
そこが少しいびつな形をしていると、やっぱり少しずついびつだったりもする。
 
それに気付いた時に、長い年月をかけて消化していったり、
両親がどうしてそうなったかを慮ってみたり、そういう事で自分の中に落とし込む。
そうすることで自分の中にあるものへの答えになったりもするものだ。
 
色んなことがあるけれど、そこから目を逸らして生きてはいけないし、
そこに自分の中にある価値観形成の答えが詰まっているわけだし。
 
親が完璧じゃないと気付くまでは、不条理に感じたりもするけれど、
親を理想としたいという子心みたいなものって少なからずあるからねぇ。
 
1人の人間として向き合ってあげて欲しい。
親である前に、人間だからな。
彼らにも迷いはあるし、悩みはある。
そこを慮る事が、自分の中にあるモヤモヤを解消する為に役立つと思うよ。
 
 
実は、このような部分で引っかかっている子ってのは珍しくない。
相談者にも多いし、俺の身近にも同じように感じる子がいた。
(親との接し方については特に)
 
『自分がどうしてこのように感じているのか』をいうのを考えると、
それは漠然と心の奥底で感じていた部分に突き当たったりもする。
 
親に対して漠然と感じていた部分に対する解決というのは、
親である以前に、1人の人間として見ること、
そして、それに対する理解と配慮によって成されることも多い。
 
 
ラジオ:ニッポン放送で午前中にやってる人生相談のコーナーで、
冒頭のあいさつと共にこんなことを言っている。
 
「変えられることは今すぐ変えましょう。変えられないことは受け入れる努力をしましょう。」
これは一つの真理であると思う。
 
あーだこーだと文句を言っているだけでは前に進まない。
それこそ、読んで字の如く“愚痴”というものだ。
 
 
これからの自分のために、より良くなる。
そのためには、自分と同じように不完全な人間である親への理解と配慮が必要な時もある。
 
そして、どうしても思いやることなんか出来ないという場合に、“許容”という道があるのだと思う。
相手を丸ごと受け入れる“許容”というものは、大きな人間である証拠だ。
 
ムリに許容しろとは言わない。
でも、許容できる人は大きい人だと思うし、自分でもそのように誇って良いと思う。
 
 
自分の納得を見つけて、それを信念にするのが健全ではあるが、
自分なりの落としどころを見つける事で救われることも多いのだ。
 
 
 
今回は難しかったかな?
 
頭が痛くなっちゃった子はプリンでも食べてゴロゴロなさいね。
悩みすぎた時は糖分がいいんだよ。うんうん。
 
 
2011/03/07


前のページ 目次 次のページ



[トップページへ]