―愛社精神―
高度成長期の日本では盲目的に会社に尽くす事を目的とした洗脳術により、
『愛社精神を持つ者が善』との見方が世論を支配していた。
現代では徐々に死語と化してきているが、年配の管理職は今でも盛んに使ったりする。
1970年以前の生まれの人間の中には今もその洗脳術から解かれていない者が多い。
親しくもない株主と経営者のモノである『会社』のために尽くせとは横暴極まりない。
尊敬できる人間のために尽くすのならまだわかるが、
見ず知らずの人間のために盲目的に従ういわれは無い。
『愛社精神』は高度成長期の日本が生んだ悪魔の洗脳術である。
自分の仕事を愛する『愛職精神』を唱えるならまだわかる。
仕事に誇りを持ち、生き甲斐を感じる事はなにものにも変えがたい宝である。
だが、それは自分に自信を持つ事に繋がるから良いのであって、
株主に切り売りされた会社に自信を持つ事とは根本からして違う。
『大企業』という看板に誇りを持つ事は素晴らしい事ではない。
それは『虎の威を借る狐』に成り下がる事である。
一人の人間としてこれほど恥ずかしい事は無い。
わかりやすく言えば、
「ウチの兄ちゃん、ケンカ強いんだぞ!」
ってなカンジで泣き虫の弟が威張るのと一緒だ。
実に情けない。
どうせなら仕事を完璧にこなした上で、
「俺の仕事はいつだって完璧だぜ!」と、
胸を張ってこう言える人間になって欲しいものだ。
自分の仕事もロクにできない、もしくは仕事をほとんどしてないくせに、
愛社精神を振りかざして偉そうに意見を言う人間から漂う加齢臭はたまらなくクサイ。
頼むから牛乳を飲んでポリデントで口をゆすいでから話していただきたい。
こっちも呼吸を止め続けているのが辛くて何も考えられなくなるから。
「ウチにはウチのやり方があるんだ!」
20年ほど前に上司に言われた戯言を20年経った今、
自分の部下にも同じ戯言を繰り返して使うバカが多くてどうもいけねぇ。
こういう輩を高度成長期の後に残った排泄物と言うのだ。
これは中学校などの『後輩イビリの多い先輩部員』と似ている。
体制に弱く、群れなくては生きていけず、自分一人じゃ何も出来ない、
そういうションベン野郎がこういうくだらねぇ人間になるのだ。
だから自分が先輩になった時に同じように後輩をイビり倒すのだ。
憧れ、尊敬している人の意見なら誰でも耳を傾けるが、
こういうションベン野郎は誰かに尊敬される人間になれないヤツなのだ。
だから無意識のうちにこういうくだらねぇ人間に成り下がってしまうのだ。
これを読んだションベン野郎は悔い改めていただきたい。
自分がいかに小さい人間であるかを知り、
周りに嫌われている事を自覚して明日から改めよ。
これを読んでちょっとスッキリした人は明日からも頑張ってくれ。
ただし、言い訳や文句が先に立つヤツはションベン野郎以下のチンカスだ。
何も言わずに完璧に仕事をしてるヤツが一番カッコイイんだよ。
こだわりってのは自分の中に持とうじゃねぇか。
2006/08/08
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