原稿を書いてる時に、それまでに気付かなかったミスを見つけたりする。
例えば、『無い』は『ない』に開いてるのだが、
それを修正し忘れている箇所を見つけたり、
『掛ける』を『かける』に開いてるのだが、
それを忘れて加筆分に『掛ける』と新たに書いてしまってたり。
なんだか何回もこういうイージーミスをしてる気がする。
テキストソフトで一発置換できるからいいんだけど。
最初は『漢字をひらがなに開く』って事自体が好きじゃなかった。
なんだかレベルが下がることなんじゃないかと思ってたんだ。
しかし、他者からすればそういうこだわりを持つコトなど、
難しい漢字を必要以上に使いたがる人とそれほど変わらないのかな、
などと思ってからはちょっと考えが変わった。
それからは沢山の人に読んでもらう事を想定して、
開くトコは開く、開くと味が変わるトコはそのままにしている。
それと、Love at Nightの続編に出てくる登場人物の名前が、
別の人が先に出すケータイ小説とカブるらしく、
そこも考え直さないといけなかったりした。
しかし、名前がカブって逆に良かった気がする。
『カブる=誰でも考え付く』って事で、つまりは安直な名前って証拠だ。
俺自身、ちょっとその辺のこだわりに欠けてたんじゃないかと思う。
主人公の名前はそれこそ全力で色々と考えたけど、
サブ的なキャラの名前は『これでいいか・・・』という程度だったのだ。
仮に付けていた名前だったので、そうなって当然ではあるのだが。
あまり関係無いけど、子供の名前を決めるのって大変だと思う。
子供に由来を聞かれて「…なんとなく」じゃイカンし。
俺の名前を付ける時は良い字を2つ合わせた名前だそうな。
金に縁があるとか、自分で人生を切り拓くとか、
そんなような意味を持つ字なんだという話を聞いた事がある。
HP上で使っている【有也】という名前はあるマンガから取ったもので、
それだけで自分の存在意義を肯定する意味を持つ名であると意識してる。
そのマンガの主人公である有也は真っ直ぐな目で世界の歪みを見ていた。
そして、自らの純粋さ故に耐えられなくなった。
俺が一番"感じた"作品だった。
俺も読者を感じさせるモノが書きたい。
それが読者の望んだ結末であろうとなかろうと。
俺の中から湧き出るものはそういう要素を持っていると信じてる。
ただ、泣いたり笑ったりして欲しいわけじゃない。
何かを感じ取って欲しいんだ。
そして、自分に置き換えて考えて欲しいんだ。
自分だったらどうするか、どう思うか、どう言うか。
そして、その先に幸せに生きるための道を見て欲しいんだ。
回り道をしてる人が多いからもどかしくてね。
まぁ、本を書く事もマニュアルやコラムを書くのと同じで、
俺の中にあるモノを文字で展開しているだけ。
それを読んで泣き笑うだけじゃなく、役立ててくれると有り難い。
一時の感情の振幅よりも未来の小さな幸せを。
Love at Nightはエンターテイメントを含めたコラムなんだ。
実際にこうすればこうなるってのを具体的に示してるだけ。
だから、昔からスタンスは何ら変わっちゃいないわけだよ。
昔からの読者で「遠い存在になった」とか言ったりする人もいるけど、
それは勝手に遠く感じてるだけで俺自身は全く変わっちゃいない。
そんなに簡単に変わるような価値観なんぞ持ち合わせてないしな。
俺はいつでも媚びない。
誰かに媚びてまで欲しいモノなんか無いからだ。
金はあるに越した事はねぇが、
媚びなきゃくれない金ならいらねぇ。
俺様は安売りしてねぇんだ。
だから代わりがいねぇんだ。
『世界に一つだけの花』風に言うと、
世界に1人だけの俺様
俺様だけ違う羽根を持つ
その羽根を輝かせるために
一生懸命になればいい
こんなカンジだよ。
わかったかコンニャロゥ。
2007/05/15
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