読者のあかねが書いたコメントで、こんなのがあった。
昔、くだらないラジオ番組があって、
投稿するためのくだらないネタを、毎日探してたのを思い出した。
あの頃は、素朴な疑問を大切にしてたのに。
『人がそれぞれ使うトイレットペーパーの長さは、どういう風に決まっていくのか。』とか、
トイレで考えてたのに
これについては俺も既に考え抜いていて、
色んな人に聞き取り調査を行っており、
しかも、先日それを親友のSaityと飲み屋で話したばかりだ。
なんてステキにタイムリー。
汚い話でゴメンね。
でもウチの読者に上品な人はいないと思うから続けるね。←コラ(笑)
さて、トイレットペーパーの長さはどのように決まるのか。
まず、そこに至る前に話しておかねばならないのは、
人が紙でケツを拭く時、主に2種類の使い方に分けられるという事である。
丸める派と折り畳む派。
まず、このどちらなのかによって大きく変わる。
丸める派は紙を勢い良く出すと同時に手に巻いていくグルグルガラガラ派と、
ある程度まで出した紙を丸めるクシャクシャ派に分かれる。
傾向としてグルグルガラガラ派は幼児性が強く、
紙のムダ遣いを考えるよりも爽快さを求める人間である事が多い。
何よりも一度に紙を使う量が多く、トイレが詰まる危険と隣り合わせである。
こまめに流せばその心配はないが、水が再びタンクに貯まるのは時間がかかる。
グルグルガラガラ派は紙も水も時間もムダになるのである。
クシャクシャ派は想像力や配慮に欠ける人間が多い。
実はクシャクシャ派は常に命懸けなのだが、その危険性に気付いていない輩が多い。
何を隠そう、小学校高学年の頃の俺はクシャクシャ派だった。
あの頃の俺は無鉄砲で怖いもの知らずであった。
そして、あの忌まわしい事件が起こったのだ。
その頃の俺は腕を目一杯に腕を伸ばせる位置まで紙を引っ張り、
それをブルース・リーばりに手刀で「アチャ!」と切って、
その紙をクシャクシャにするのが常であった。
クシャクシャに丸めると稀に穴が出来る事がある。
そこに指を当てていると当然ながら肛門に直接、指が触れることになり…。
結果、指にウンコがついてしまうのである。
俺はヒドく狼狽した。
あぁ、こんな事になるのならグルグルガラガラ派のままでいれば良かった。
小学校低学年まではグルグルガラガラ派だったのに。
なぜ俺はこんな危険な橋を渡ってしまったんだろう。
しかし、これが私のトイレ人生におけるターニングポイントであった。
私はこの後、思案した末に折り畳む派の門を叩く事になったのだ。
折り畳む派というのは慣れるまでにある程度の修練が必要であり、
一流の折り畳みマイスターになるには相当の努力が必要だと言われている。
丸める派は折り畳む派をあまり快く思っていない場合が多い。
「折り畳んだら薄くなって拭けば破れてしまうじゃないか。」
これが彼らの常套句である。
しかし、修練を重ねれば一番良いのは折り畳む派である。
安全性、拭き取り効率、資源消費、全てにおいて効率が良いのだ。
安全性は折り畳む回数によって決まってくる。
もちろん、それは紙の質とシングルかダブルかによって左右される。
ギリギリのポイントは標準的なダブルの4枚重ねになる。
それがギリギリの分かれ目であり、時には破れてしまう。
そのため、多くの人は6枚重ねか8枚重ねになる。
ちなみにSaityはダブルの紙を手の平に3回折り返しつつ乗せる、
シックスネピアーという6枚重ね奥義の使い手だ。
(あくまでも伝聞で見たわけではないが)
俺は指先からヒジくらいの長さをロールから引き出し、
その先を根元に持って行くようにして折り重ね、
それをさらに半分に畳んでから切り取る、
エイトクリネックスという8枚重ねの技を持っている。
チキンラン的な観点と資源節約の観点から言えばSaityの勝ちであるが、
俺の技はシングルでもダブルでもいける。
より迅速に技を繰り出すという点においては俺の方が勝る。
おおざっぱだと言われればそれまでだが。
折り畳み派の最大の利点は、
尻の割れ目に合わせて指を這わせる事が出来る点にある。
これによって拭き取り効率は飛躍的に上がり、
より少ない回数で拭き終える事が出来るのだ。
また、人によってはケツ毛に用便が絡み付いて処理に難儀する場合もあるが、
これも折り畳みマイスターなら、あっさりとつまんで処理できるという。
俺の知人にイタリア人ばりに毛深い男がいるが、
その男は中学生の頃から折り畳みマイスターだと豪語していた。
ひょっとしたらイタリア人はみんな折り畳みマイスターなのかもしれない。
それはあくまでも想像の域を出ないものであるが。
さて、話を戻そう。
紙の消費量も折り畳み派は自分の必要最低限で正確に調整出来る。
丸めるわけではないので流す時も必要以上に広がらず、詰まらせる心配が少ない。
以上の事から、私は最も優れた拭き取り方は折り畳む派だと思ってきた。
だが、近年においてはウォッシュレットの台頭でそれが変わりつつある。
拭き取り技術を学ぶ者は減り、派閥分け自体が過去の遺物になりつつあるのだ。
俺自身、街で用を足す時は高級デパートやマクドナルドの大型店など、
ウォッシュレットが付いていそうなトコを選んでいる。
我ながら、不甲斐ないものだ。
既に我が尻はウォッシュレット無しに用を足すのが苦痛になっているのだ。
ウチにはウォッシュレットがあるので普段は問題無いが、
ゆうなの家にはウォッシュレットがないので、
少し多めに紙を取って手洗い用の水をチャチャッと付けるか、
ウェットタイプのお尻拭きを常備してそれを使っている始末だ。
何とも情けないようだが、これが文明進歩の副作用なら致し方ないとも思う。
少し話は逸れるが、拭き取り方向は人によって違う。
前から拭く派と後ろから拭く派がいるのだ。
女性は小便の際にも拭くので、前から拭く派が多いようだが、
大便の時には前から拭いてはいけない。
前から後ろに拭くと、ウ〇コが付いた紙が陰部に触れる危険がある。
疲れや風邪などで抵抗力が弱くなっていると、それが原因で雑菌が増えてしまい、
内部に炎症を引き起こしてしまう場合があるので注意が必要だ。
これも丸める派のただ擦るようにして拭く人に多く見られるので、
是非とも修練を積んで一人前の折り畳む派になっていただきたい。
さて、本題はなんだっけ。
人がそれぞれ使うトイレットペーパーの長さは、どういう風に決まっていくのか。
これだったね。
グルグルガラガラ派は細かい事は考えない。
気の済むまでガラガラーと出しつつ丸めるだけだ。
なので、長さが決まっていない事が多い。
クシャクシャ派はその丸めた紙の大きさと感触を確かめつつ決める人と、
引いた長さで丸めた時にはどのくらいの大きさになるか予想し、
切ってからクシャクシャに丸める人がいる。
前者は長さではなく量で決めており、
後者は長さがほぼ決まっている。
折り畳む派は毎回長さがほぼ決まっている。
どのぐらいが自分の定量になるかは、
ケツのデリケートさと拭く技術によって決まるのだ。
俺の尻はなかなかデリケートなので、
紙が硬い時でもソフトに拭けるという点でも折り畳む派になって良かったと思う。
硬い紙で丸めて使う際に揉みほぐして柔らかくする人もいるが、
相当に粗雑な紙でない限り、折り畳む派にはそんな必要がないのだ。
さぁ、みんなも折り畳もう。
それが希望への近道だ。
:追記:
読者のあかねからさらにこんな書き込みがあったので、
こちらに追記して返信に代えさせていただく。
私が注目して点は、少し違ってね、尻の拭き方を最初に教えるのは親でしょ?
親からの教えは、どこまで影響するんだろうか?と思ってたけど、
有也さんの話を読んで、すぐに自己流に変換されるようだと分かった(笑)
親の教えがどこまで影響するかは人それぞれなんだよね。
親の言う事を聞く人間か否かにもよるし、親の拭き方にもよる。
それは端的に表しようがないから言及は避けたんだ。
ただ、親の影響によって変な行動に至った特殊な例があるので追記しとく。
和式便所の家に育って母親が潔癖なA君。
彼は洋式の便座に座るのが不衛生に思えて嫌なので、
いつも洋式の便座の上に足を乗せてしゃがんで用を足してる。
おまるでトイレを教えられたB君は掴まるトコがないと用を足せないので、
洋式便所ではいつも後ろ向きになり、タンクにしがみついて用を足してる。
世の中にはこんな人もいるのだ。
トイレは閉鎖空間における独自の文化を生むんだねぇ。
更新:2007/10/24
追記:2007/11/10
|