18歳の頃、日記を書き始めた。
人の名前や出来事を書かないと忘れるくらい、
朝から晩まで遊び歩いて、毎日が出会いの連続だった。
誰が誰の知り合いだとか、誰が誰と付き合ってたとか、
誰が誰と同じ中学だとか、誰が誰とモメてるだとか、
そんな細かい事を覚えていたい年頃だったんだ。
多分、他人に対して最も興味を持ってたのはこの頃だったと思う。
適度な距離を保って『人間』を分析したかったんだ。
自分はまだまだ経験が少ないのがわかってた。
だからデータが欲しかったんだ。
そして、早く自分なりの価値観を完成させたかった。
それまでは誰とも深く関わる気は無かった。
内面の深い部分を見せるのは親兄弟でもありえないと思ってた。
未完成の己を出すのは恥ずべき事だと思っていたんだ。
日記や反省ノートを書いてるうちに頭がスッキリするようになった。
しかし、バッグごと日記が盗まれて書く気が失せた。
水商売を始めてからはさらに多くの出会いがあった。
グチるだけのヤツもいれば、格言を与えてくれる人もいた。
21歳の時、ダイエットのためにホストを休業してパチンコ屋で働いた。
その時にネット上で恋愛相談に乗ったのがキッカケで、
自分の考えをまとめるためにコラムや日記を再び書き始めた。
分布図に色んな点を打ってるうちに傾向が見えてくるように、
多くの物を書いてるうちに自分の価値観の傾向がわかるようになった。
自分の価値観にようやく納得し始めたのは24歳の時だった。
『自分が何故こう考えるようになったか』なども、
具体的に文章に書き表せるようになってきた。
どんな性格になるのも必ず原因があり、
その原因を知れば理解を深める事が出来る。
また、それが欠点であれば対処法もわかるようになる。
そんな部分も見えるようになってきた。
今は少し飽きてきている。
周りに面白い人間が少なくなってきたからだ。
いつまでも俺とバカな事をやってくれるヤツがいないのだ。
みんな大人になるにつれ、諦めや日々の疲れで頭が鈍ってきている。
周りに流されて生きるようになってきている。
俺は昔から変わらない。
自転速度も軌道も変わらない。
彼らは流れ星になって堕ちてしまった。
だから彼らと自分に距離が出来て行く。
どっちの生き方が正しいとか間違ってるとかではない。
ただ、距離が離れる事が寂しいばかりだ。
合わせようとは思わない。
生き方が違っただけだ。
あの日、日記を書き始めなければこう思ってなかっただろう。
だが、俺は書いた。
だから今の俺になったんだ。
書かなければ良かったとは思わない。
何かを得るために何かを失ったとも思わない。
俺は真実を知った。
それだけだ。
人はやがて死ぬ。
それもまた真実だ。
寂しいものだ。
人が新たに生まれる。
それもまた真実だ。
誕生はめでたいわけではなく、ただの成り行きだ。
めでたいかどうかは死ぬまでわからない。
だが、生と死でバランスが取れてるんだ。
今後、俺の期待を裏切らない優れた人物が俺の前に現れるだろう。
俺はそいつと生きていく事になると思う。
その時に、相手も俺に対して同じ様に期待して欲しい。
言葉で伝えなくてもいい。
俺が出来る限り心を読む。
本人も気付かないレベルの欲求を俺が満たす。
泣いて笑ってケンカして、この世界を遊ぶんだ。
死ぬ時は「おつかれ〜。」でいい。
お互い様だから。
2007/10/25
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