今回のたわごとは副管理人・あいくとのメッセで俺が言った事を、
コラム形式に書き直したものです。
最終的にどうなりたいのか、その辺を考えずに進むのは危険だ。
ゴールを決めずに走り始めるようなもんだ。
ゴールを決めてないから方向性が見えてこない。
自分の方向性が見えなければ、信念も生まれない。
今が良ければ良い的な考えではなく、ゴールを決めるべきだと思うのだ。
たとえば、30歳で自分がどうなってるかを想像するのも良い。
どんな人間になっててどんな人と結婚してる、とかね。
その辺を決めずに今だけを見て突っ走るのは危険。
ゴールを「西」って言うようなもんよ。
ゴールは具体的であるべきで、おおまかに「西」ではマズい。
『ゴールは東京』くらいに決まってる方がまだマシだけど、
できれば「新宿」とか「中野」みたいに絞っておいて欲しい。
もっと言えばスポットで決めるべき。
都庁の22階とかね。
そのゴールを後に変更するのは構わないんだよ。
不都合な事態になることもあるし、もっと良い目標が出来ることもあるし。
ゴールを決めず、アバウトにただ走るだけじゃバカ。
そして、アバウトに「西に向かう」みたいな事をすると道に迷うんだ。
気が付くと樹海とかね。
具体的に言えば、「この年になって自分には何も無い」みたいな。
とはいえ、俺も18歳の時はそのレベルで考えてなかった。
いや、西に向かって走ったりもしてない。
周りの様子を見ながら歩いてるだけだ。
横を駆け抜けていくランナーを見てた。
コケるヤツとか、飛び越えて行くヤツとか、足を痛めるヤツとか。
そういうのを見ながら、「なんで走らないといけねぇの?」ってなってた。
みんな何かに追われてるみたいに走っててそれがちょっと異常に見えたんだよね。
焦燥感に走らされてるというか。
それがなんか哀れで。
いや、あっちが焦燥感を感じてたかは分からないし、
むしろ、「なんであいつ走ってないの?(笑)」だったかもしれないけど。
俺は何かに走らされてる感を味わうのがイヤで、
『本当に走りたくなったら誰に言われずとも走るよ』と思ってたんだよね。
途中でランナーが来て「一緒に走らない?」と言われて、
変なコースに連れて行かれたけど。
それが水商売か。
そのコースではみんな水泳やってるんだけど、
その時も俺はカプセルかぶって底を歩いてるカンジ。
そのうち、サメがいると知ったんで上がったわけだな。
今も変わらないかもしれないな。
みんなは走ってる。
俺はそれを見守ってる。
鼻歌を歌いながら見守ってる。
その鼻歌で投げ銭もらった。
それで生活してんだね。
さて、今後はどうなるやら。
ゴールがいくつかあるので近いトコにするか面白いトコにするか。
そんなカンジだろうか。
俺の場合はゴールを目標にしないかもな。
スキップで行くとかそういう方向に走るかもしれない。
過程を大事にしたいならそれも良いと思うよ。
自分は何に重きを置くのかそこが見えているかどうかが大事。
2008/02/12
|