俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 534   食物連鎖における人間の位置付け。
 
食物連鎖における人類の位置付けについて考えてみた。
 
やはり、人間を特別視しないにしても、
弱肉強食ピラミッドの頂点にいる動物である事は事実だ。
地球を支配しているのは実質的に人類だから。
 
食は生命維持、ひいては種の繁栄に必要な行いであり、
どの生命も地球の生態系を乱す事がなければOKだと思ってる。
 
ある種が滅亡したとしても、生態系バランスが崩れなければ構わない。
そうやって種は淘汰されて行くべきだとも思う。
 
昔、人類が獲物を狩るには犠牲が大きすぎた。
ライオンですら、シカを狩ろうとしてツノに突かれて死ぬ事もあるくらいだ。
 
そこで人々は農作・養殖という技術を手にした。
それによって、人間は他の動物よりも食に困る心配が無くなった。
 
そして、それはむやみに生態系を乱す事もない、実に理に適ったモノだと思う。
植物も生命である事に変わりは無いので、植物も生態系の一部であると言える。
 
動物愛護の人間が「植物なら食べて良い」と言うのもおかしな話だ。
『動物は殺す時に悲鳴を上げるから残酷に思える』という、非常に表面的なものを理由に挙げるのが少し違うと思う。
なんだか、そういう人間は感覚的に生きるアホで幼稚なヤツだと感じる。
 
植物も切られた瞬間に悲鳴に近い信号を出しているらしい。
以前、それを声にして聞く装置を作った研究者がいた。
それを聞けば、偏見動物愛護のアホどもも考えなおすんだろうか。
 
動物愛護の連中が植物愛護まで始めて餓え死にしたら、意志の強い人間だと褒めてやりたい。
最高のアホだとも思うが。
 
弱肉強食ピラミッドの頂点が人間じゃなかったとしても、
いずれは同じ事になりうるのではないかと思う。
 
他の生命を奪いながら生きるのは他の動物も同じ。
ライオンは生涯に120頭のシマウマを食べるそうだ。
 
「他の生命を喰らってまで生きるな」というのなら、
その条件下で生きられる生命は植物・菌類くらいになるだろう。
 
感受性がおかしな方向に豊かな人が、人間の汚い面を憎む気持ちは理解できるけれど、
その人間が他の生命を捕食するのを憎むのは、ちょっと話が違ってくるのではないか。
 
どんな動物にも好物はある。
嫌いなら食わないし、好きなら食う。
それだけで良いと思う。
むしろ、それが生態系の基礎になってるんだと思う。
 
犬や猫を食べる人間が少ないのは肉食獣が独特の臭みを放つからだ。
美味かったら世界中で食われてると思う。
 
生態系を乱すのなら非難して然るべき。
だが、自分が何かを(植物も含め)食する以上は、
他人の食に口を出すのも五十歩百歩に思えてならない。
 
スポーツフィッシングはいかがなものか。
食わない魚を釣り上げるのは、犬猫を虐待するのとそう変わらない気がする。
ブラックバスを日本の河川に放して生態系をぶっ壊している。
 
動物を虐待したら、キチンと取り締まる法がある。
動物愛護法というのがそれだ。
 
しかし、両生類以下の脊椎動物並びに無脊椎動物には本法の適用はされない。
だから、スポーツフィッシングは裁かれない。
 
食うための殺生は必要だが、食うためではない殺生はいかがなものだろう。
その残酷性というのはいささか…いや、待てよ?
それは同族に危害を加えないため行動かもしれない。
 
ネコも食うわけではないハトやネズミを殺したりする。
捕食の練習というのを行う事があるという。
 
つまり、スポーツフィッシングは捕食の練習だと思えばいいのか。
実際、そのためにやってるようなトコがあるしな。
 
かといって、そのために池や川に外来種を放すと、そこの生態系が変わってしまう。
それも必要な自然淘汰なんだろうか。
 
 
全ての動物がバトルロイヤルをしている、その舞台が地球で、
それによって強い種族だけが生き残る事でバランスが取れる。
だとすれば、ある地域の生態系が変わる事もそれほど嘆く事ではないんだろうか。
 
恐竜はもういない。
人類という種としては、それを嘆く必要はなかった。
 
つまり、今の地球にいる生物が全部入れ替えられたとしても、
それを嘆く必要はないのかもしれない。
 
しかし、人類としては種の保存のために努力しなければならない気はする。
種の保存のために必要なのは、環境保存だろうか。
 
CO2削減の必要はあるんだろうか。
実は温暖化に一番影響があるのは水蒸気らしいし、
牛のゲップによるメタンガス発生を止める方が遥かに効果があると聞く。
 
無意味なecoブームじゃなきゃいいが。
 
 
そもそも、人間が生きて種の繁栄を求める事自体がエゴか。
動物愛護も動物虐待も環境保存も環境破壊も。
 
ずっと行われているのはエコならぬエゴってか。
 
 
2009/02/21


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