人間の脳ってのはあらゆる記憶が残っているらしい。
遠い昔の記憶が夢に出てきたりするのも、脳に残っているからだそうだ。
本当は覚えているけど、深い層のフォルダに入ってるようなもんだろうか。
なんかの拍子に記憶が戻る事もあるようだ。
脳に電気を流すと、記憶が戻ったりする事もあるらしい。
脳にある記憶は映像も鮮明で、その時の匂いさえも覚えているらしい。
しかし、めったに使わないから出てこないわけだ。
さて、その記憶を最大限に引き出せたとして、その活用法を一つ考えた。
事件の目撃証言ってのをもっともっと正確に出来るんじゃないだろうか。
『思い出す』という力をもっと大きなモノにすれば、事件解決に繋がるはずだ。
全国民が防犯ビデオの役割を果たす、みたいなカンジで。
これは出来そう。マジで出来そう。
んなこたないか。
でも、曇りの日じゃなければ人工衛星から映せそうだよね。
全世界にカメラを設置して犯罪を減らすとか?
いや、それはなんだかとても窮屈な気がする。
言った言わないの水かけ論もいつかは無くなるんだろうな。
スポーツのビデオ判定のように、全ての事象がメモリーされていて。
不倫も無くなるかもしれないね。
それでもやるなら、かなり巧妙にやらないとダメだね。
結婚する人が減りそうな気もするな。笑
前科者はいつでも検索されてしまうとかどうだろう。
子供が安心して出歩ける世の中にはなるかもしれないね。
それでも、突発的な犯罪には対応しきれないだろうな。
いきなり発狂して、台所から包丁を持ち出して通行人をめった刺しとかね。
犯罪をゼロにするには人間をゼロにしなければならないんだろうな。
どんなにイイ人も脳にダメージを受けたら性格が変わったりするようだし。
今ぐらいがちょうど良いのかもしれないね。
無いものねだりなのかもしれないね。
人口爆発→世界的食糧難→戦争勃発の流れになっても、
それは人類の間引きプログラムなのかもしれないね。
人間は核戦争でゼロになっても、「しょうがねぇな」で終われる動物だろうか。
その時はやっぱり後悔するような気もするな。
そして、ある宗教を信仰する人がこう言うんだ。
「神の鉄槌が下されたのだ。」
神を作ったのも人間。
鉄槌を下したのも人間。
だけど、どうしても何かのせいにしたくなるんだろう。
じゃないと、やるせないから。
死ぬ間際にその人のメモリーが消えてゆく。
読みとれなくなったハードディスクのように、ボロボロになって壊死してゆく。
再生不能になったメモリーは少しもったいないけど、
それで何かが変わるわけじゃないんだろう。
何も無いところから生まれたモノが、また何も無くなるだけで。
そう、無に帰すだけだ。
でも、メモリーが消えたらもったいないね。
もしも、自分が死んだらもったいないとは思わないかね。
1週間後に自分が死ぬとしたら何をするかね?
やり残したことは無いかね?
「今年中にやればいいや。」とか言ってられないよ?
後回しには出来ないよ?
たまにはそんな事を考えてみるのもいいんじゃないか。
残り少ない命なら大切に使おうとするだろう。
ムダ遣いもまた贅沢なものだがね。
こんな風に。
2009/03/29
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