俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 566   死についてのイメージ。
 
 
人間の死とはどういうものか。
それについては前々から考えていた。
 
ちょくちょく考えてきた事柄が、ある瞬間に材料が揃うと、
それが言葉となって外に出てくる。
 
小雨が降る街を歩いている時、何気なく出した言葉。
「死んだらどうなるんだろうね。」
 
今回はそれについて書いてみる。
 
 
最近、“絶対的な死”なんてモノが無いような気がしていた。
人が死んでも原子が消え去るわけではない。
“その生物としての死”があるだけだ。
 
俺の中で、人の魂という概念はその人の記憶によって成り立つようなイメージがある。
つまり、その記憶があれば、それはどんな形でもその人なんじゃないかと思うのだ。
(人格は記憶によって成り立つので、人格も含む)
 
 
心臓移植した人間に、移植した心臓の持ち主の記憶が宿ったという話があった。
記憶を留める場所は脳だけではない、というのが昨今になってわかってきている。
もちろん、その比率や質は脳のそれとは全然違うと思うけど。
 
細胞全てが一生のうちに何度も生まれ変わっているが、
そのたびに隣の細胞が隣の細胞の情報を基に再構成している。
つまり、記憶もそのように全身の細胞にあっても何らおかしくはないと思う。
 
そして、人間は死んだ後でも原子レベルで記憶を留めていられるような気もする。
それは万物に言えることかもしれないけれど。
 
そうなると、*サイコメトリーなんてのもあながちSFじゃないような気もしてる。
(*物質に残る記憶を読みとる能力)
今の科学力じゃ、その辺の解明も到底ムリだと思うけどね。
1万年以内にはイケるんじゃないかな。
1000年じゃムリかもしれないけど。
 
 
昔の人は絶対死を逃れる術として防腐法を開発したりした。
それが実際に行われた人体がミイラとして現代にも残っている。
ようは“人としての形を留めること”が大事だと思ったわけだ。
 
俺はそうではなく、原子単位でも生きていることになると思っている。
つまり、死という概念ではなく“別の形になった”というような解釈か。
もちろん、それは“その生物としての死”ではあると思うが。
 
今後の数万年の中で完全に再生する事が可能な気もする。
それこそ、構成する物質と情報だけでその人間を再生する事も可能だと思う。(コピーも)
そうなってくると、“その生物としての絶対死”なんて消えてしまうことになるだろう。
 
試しに死ねるなら、その辺もわずかにわかるのかもしれない。
しかし、わかったところで人としての記憶が残っているとは限らない。
いや、おそらく残っていないだろう。
それに死んでも生き返る保証がないうちは試したくはない。
どっちにしろ、いずれはわかることだしなぁ。
 
 
とりあえず、以前は別の物質であった記憶が今の自分には無い。
つまり、構成情報を取り出せる段階にはないわけだ。
 
とはいえ、以前は鶏肉だったり、白米だったり、
魚だったりしたんだから、
それらのあらゆる情報が残ってるはずもないがね。
 
そういう意味では前世はあるけど、この身体を構成する細胞になったものは一つじゃない。
2005年に書いた季節の一言:200『キマイラ』はまさにそういう感覚のものだ。
 
 
 
『キマイラ』
 
ヒヨコがピヨピヨと歩く。
皮を剥いで串に刺して焼けば大好物のひな皮串。
 
ニワトリがコケッコケッと鳴く。
心臓を取り出して串に刺して焼けば大好物のハツ串。
 
ブタがブーブーと走り回る。
耳をちぎって湯がいて味を付ければ大好物のミミガー。
 
ウシがモーモーと草を噛む。
舌を引っこ抜いてスライスして焼けば大好物の牛タン焼き。
 
俺はのうのうと生きる。
ヒヨコの皮を着てニワトリの心臓で生きてブタの耳で聞いてウシの舌で喋る。
 
 
 
自分が食った生物の細胞が自分の細胞に成り代わる。
食物連鎖というのはそういうものだ。
 
「その生物のためにも一生懸命生きよう!」なんて思う必要は全く無い。
そういう事を言うヤツはくだらん。
自分もまたいずれは何かの細胞になるだけだ。
 
一生懸命に生きるのは自分のためにやれ。
自分の納得のためだけに生きろ。
誰かの役に立ちたいと思うのも自分の納得があっての話だ。
 
 
そういう意味では、火葬って良くないものだと思う。
エネルギーとか物質がムダ。
 
土葬だとか鳥葬だとかがいいよ。
他の生物の糧となるものが。
 
 
俺が死んだら火葬にしないで欲しいなぁ。
千の風になるつもりもないし。笑
 
 
新たな生命を作るというのも素晴らしいことだね。
しかし、パコパコ婚(出来ちゃった結婚)には猛反対だ。
 
もうね、パコパコ婚なんて親にブッ飛ばされて勘当されていいレベルだよ。
 
ブッ飛ばされて勘当されて、自分たちの過ちを反省して、
その子が幼稚園の年長さんになったくらいのところで、
『お父さん、お母さん、お元気ですか?
 育てていただいたご恩に背く行いをして、大変申し訳ございませんでした。
 あれから5年、自分たちの行いを恥ずかしく思うばかりです。
 あの時の子供が健やかに真っすぐ育ってくれたのがせめてもの救いです。
 今はただ、お2人のご健康とご多幸を祈るばかりです。』
みたいな手紙を出して、
 
そこから両親の手紙が来て、「一度帰って来なさい」と言われて、
5年ぶりに里帰りして、玄関で土下座してからの、
じいじとばあばの孫を可愛がりコンボでようやく一家団欒が許されるレベルだろうが。
 
それに近いところまでやった夫婦は俺の中でアリ。
しれっとその辺をごまかしながら(あるいは気にせず)にきてる夫婦はナシ。
 
筋の通らない話は大っ嫌いだ。
 
 
おおっと、ものすごく関係無い話になってた。
 
その生物の死に対して、その生物の誕生。
2匹の生物がそれぞれの遺伝子を基に新しい同族を生み出すんだからスゴイよね。
 
そうそう。
最終的に全人類が混じったら、黒人の血が勝ちそうだよね。
 
いや、でも日照量とか気候の差があるから、やっぱり地域差は出てくるのかな。
その辺がわかるのは1万年後くらいだろうか。
 
1万年後の俺はあらゆる場所に点在してるんだろうな。
もちろん、これを読んでいる人も。
 
なんかちょっとそれはそれで面白いような気もするけど、
氷河の中で凍っていれば、その頃には再生してもらえるような気もする。
いや、その前に氷河が融けるか…。
 
 
2011/06/05


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