「自分を愛してくれる人」と「自分を必要としてくれる人」
それは第一に自分でなければならない。
不安定な供給は不安定な自我に繋がる。
誰かの支えをアテにすると、それが無くなった時にぶっ倒れる。
自己愛が無ければ、根本からの解決にはならない。
誰かに寄りかかって生きるのは、だからバランスが悪いのだ。
依存って不健全。
自己肯定力は自己供給で間に合わせて、それ以上の分は有難く思う程度で良い。
「有難き事ながら、某はもう充分に持っております故、それはご自分の為にお使い下さい。」
ってなもんだ。
自分の価値は自分で決めるもの。
他人からの評価など、アテにしては足場が崩れる。
相談に乗っていると、感謝されたり、ファン宣言される事も多いが、
「有也さん、ありがとうございます!」とか「有也さん、大好きです!」とか、
そんな言葉にも別に有難みや価値を感じない。
そこで俺の自己肯定力が上がるわけじゃないし。
感謝の言葉というのは言ってる側の自己満足なんだろうと思う。
だったら、そういう言葉は近しい人間や家族にかけてやって欲しい。
俺が他人であるからこそ、すんなりと謝辞を述べられるのではないか。
普段から当たり前のように世話になってる人にも謝辞を述べてあげて欲しい。
こないだ、友人の友人に「カッコイイね。」って言われた。
これもいわば、相手を肯定する言葉だ。
こう言われた時、イイ男はどう答えるのかを考えてみた。
イイ男はそんなんで手放しに喜んだりはしないと思うのだ。
「えっ、ホント?」は違う。
自分に心からの自信が無い人のセリフだ。
思わぬ褒め言葉に喜んでいる。
初々しくはあるけど、ダサ坊のする事だ。
「そうかなぁ。」も違う。
照れ隠しだろうけど、相手がそう思っているのにケチを付けることにもなる。
「ありがとう。」もしくは「光栄です。」辺りが、
まぁスマートでベターなんじゃないかと思う。
俺はもちろん、「知ってるよ。」と笑顔で言っておいた。
自信過剰なバカに捉えられても構わない。
伝えたいのは、今の自分に満足していることと、
他人の評価もおべんちゃらも必要無いという事だけだ。
自分からの評価が高くなければ、他人に褒められても意味が無い。
それはおべんちゃらにしか聞こえなくなるだろう。
俺にとっても自己評価だけが絶対だ。
だから、他人からの評価は特に喜べない。
「へぇ〜、おまえから見るとそう感じるのか。」と感じる程度だ。
「じゃあセンスが似てるのかもね。」とは感じるかもしれない。
『モテ』ってのもクソだと思う。
どうでもいい女が寄って来ても、断る面倒が増えるだけ。
それがわかってないヤツ、もしくは自己評価が不完全なヤツ、
それ以前に下半身でモノを考えてる人間がモテたがる。
くだらねぇ話だ。
俺はどうでもいい女を相手にしたくない。
自分を安売りしたくはない。
求めてばかりのブタ女は自分をわきまえて、下がっていればいい。
「俺が必要としてるのはテメェじゃねぇんだよ。色気出すな。消えろブタ。」ってなもんだ。
人の価値は俺が決める。
俺の世界では俺が価値を決める。
それが俺の価値観になる。
他人も他人で好きに価値を決めればいい。
それが他人の価値観だ。
ただ、それを押し付けられるのは迷惑だ。
俺は押し付ける気はないが、側に置く人間は選ぶ。
ハッキリ断ってあげるのも優しさのうち。
じゃないと、いつまでもズルズルしてしまったりもするから。
いや、ズルズルも好きなんだけどね。
ズルズルして、グダグダして、泣いたり笑ったりケンカしたり。
そんなカンジの関係を持ちたくなる女もいるからねぇ。notブタで。
そんなママゴトをしたくなる時だってあるもんね。
じゃれ合いもたまにはいいもんね。
うにゃうにゃーってしたくなるもんね。
そんな姿、ブタには見せないけど。
でも、ブタはそういうところを見せないから寄ってくるんだよね。
毅然として、冷たくて、自分を曲げない、強さの塊のような部分だけを見てさ。
守って欲しい的な欲求ぶら下げて近寄ってくるんだよね。
傷付いてボロボロのフリした乞食みたいな目でさ。
俺も相手によってはだらしなく甘えたりもするんだけどね。
そういうのは相手によるよね。notブタ。
こういうのを男ツンデレって言うのかもしれんね。
むしろ、典型的だよね。
俺はツンが激しくて猛獣どころか怪獣レベルだけど、
本当に尊敬できる相手には家畜のように懐く。
そんな自分もカワイイと思う。
今後も自分を大事にしてあげよう。
何が言いたいかって、自分を認められる生き方をしろって事と、
身内には生きてるうちに感謝しとけって事かね。
2009/10/15
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