俺のたわごと

ま、たわいのないことばっか書いてますけど暇なら見てね。
日々の考え事、昔の事などが書いてあります。

 551   なぜ、愚痴るのか。
 
グチを言う人種というのはいるものだ。
 
俺はグチを言わない人種だ。
言葉にすれば、感情は膨らむだけだと思っている。
 
グチを言う人種はマイナス思考を広げて何が面白いのか。
いや、そこに気付いていないのか。
 
『言霊』って言葉を信じてるわけじゃないけど、
口に出してしまうと、それを決定づけてしまうような気はする。
 
マイナス言葉を吐けば、吐いた言葉に侵される。
俺の中ではそんなイメージだ。
だから、吐く前に潰そうとする。
 
しかし、グチを聞いてもらう事でスッキリしたりする人もいる。
「アドバイスはいらない。聞いてくれればいい。」みたいなカンジで。
 
俺はマイナスの感情が出そうになると、すぐに潰したがる。
マイナスの感情を持ち続けるのは宜しくないと思っているからだ。
そして、他人のマイナス感情まで潰そうとする。
感情移入の延長かなんかで。
 
「あの人は何も言わずに聞いていてくれた」みたいな話もたまに聞く。
余計な口出しをしなかった事に感謝してる、というような意味だ。
 
それがグチる側の勝手な思い込みだったりする事もよくある。
「無責任な事を言って責められたら嫌だから何も言わんとこ」とか、
「面倒だから、ウンウンとうなずくだけにしとこ」とかだったり。
 
ようするに、相手のためを思って黙って聞いていたのか、
それとも何とも言えなくて黙らざるを得なかったのか、
その辺も問題だと思うわけだ。
そもそも、黙って聞く事が相手のためになるとは思えない。
 
意見を求められてるわけじゃなくとも、自分の責任において意見を言う。
相手の問題を解決するために知恵を絞ろうとする事が間違ってるんだろうか。
ブレインストーミング的な受け入れをした方がいいのに、と思っちゃう。
解決しないから無限ループになるんだろうが、と思っちゃう。
黙って聞いてりゃいいってんなら、ヌイグルミにでも話せよブタ、と思っちゃう。
 
わざわざ俺の人生の時間を割いて、クソ面白くもないイジケ話や卑屈話をされ、
挙げ句の果てに「意見しないで。黙って聞いてくれるだけでいいの。」とか言われると、
「え?どんだけ俺の存在を軽んじてるのコイツ…。」と思っちゃう。
 
グチは自分を卑屈にし、それを聞く周りまで不快にし、
何も得が無いような気がするんだけど、そこになぜ気付かないのか。
 
そういう部分を哀れむ意味でも、つい意見をしたくなってしまう。
俺の身内はそんなクソつまらんグチを言う人間にならないで欲しい。
グチを言われると寂しいというか、物悲しくなる部分もあるんだろう。
 
うーむ。
ってか、そもそも愚痴ってナニ?
 
そう思って辞書を調べてみたら、愚痴は仏教用語だという事を知った。
 
【愚痴】
ぐ‐ち【愚痴/愚×癡】
[名]言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。
[名・形動]《(梵)mohaの訳。痴・無明とも訳す》仏語。三毒の一。
心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。
 
やはり、愚痴を言う人間は心性が愚かなのか。
そうか。よく考えたら、“愚痴”って字は物凄い二文字だよな。
“愚”も“痴”も1文字で破壊力抜群なのに、それを組み合わせてるんだもん。
 
 
なんかたまに自分が考えて結論に達したモノを調べてみると、
俺の思考ベクトルは、仏教において既に教えられているモノが多い。
 
それがなんだか悔しいような、清々しいような気分になる。
「俺より数千年も前に同じ事を考えてやがる。チッ。」みたいな気分と、
「あぁ、やっぱりそこに行き着くよね。ウンウン。」みたいな気分。
 
たまーに、『出家して坊さんになろうかな…。』と思う事がある。
その方がレベルアップが早そうな気もするし。
 
俺は煩悩が減ってきたけど、まだまだいっぱいあるんだろう。
そういうのを思い知らされるような、何か革命的なモノが欲しい。
 
仏典がそれだったりしないかなぁ。
全てに納得できるわけじゃないだろうけど、
ある程度のスッキリ感は貰える気がする。
 
その程度なら、坊さんにならなくとも仏典を調べればいいのか。
別に寺に入らなくても、それでヒントはもらえるだろうし。
 
 
2009/10/27


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